補足:

政治と宗教の混合権力、すなわち絶対王政の批判は理論的にはロックの夜警国家の路線でやることが一番すっきりする。そのことによって自由の領域を確保すること。ただし、歴史が証明したように、そのことの徹底は社会的にも政治的にも困難であり、社会秩序の安定と自由を天秤にかけた危ない橋を渡りながらの、暫定的な回答が福祉国家であったのだが、それが危ない橋であるが故に、容易にパタナーリズムを通じた、内面領域の支配を通じた秩序の安定を志向するウルトラ福祉国家へとより徹底した先祖帰りを行う可能性が存在する。それが現在の(少なくとも日本的)ネオ・リベラリズムではないだろうか。かつて美濃部都政を笑顔のファシズムと評した人がいたようだが、石原都政はまさにその笑顔で覆われていた部分を継承していると考えることはできないだろうか。それをファシズムと言って言えないことはないが、やはり(そもそもファシズム自体が)福祉国家の裏面であり、それは福祉国家の本質に深く食い込んでいるものと言っていいのではないか。