調子に乗って

いろいろ書いてしまったが、
こと岩月謙司氏についていうと、彼はまだ有罪ではないので、そのことについては、まあそういう可能性もあるかもしれないし、無いかもしれないのだが、そのこととは別に。

所属学会:日本動物学会,日本生物物理学会,日本原生動物学会,American society for photobiology(アメリカ光生物学会)The society of Protozoologists(原生動物学会;アメリカ),日本人間性心理学会
こんなかで異質なのは最後のである。彼を有名にした実践と関係があるのも最後の学会。ホームページが
http://www.e-jhp.jp/
雑誌の総目次 http://www.e-jhp.jp/magazine/magazine_jindex.htm
第一号がこれ http://www.e-jhp.jp/magazine/magazine_j1.htm
そしてもっとも最近のはこれ。
http://www.e-jhp.jp/magazine/magazine_j21_1.htm

時系列をおうと、なんか変化があるように見える。で、彼の有罪無罪とは関係なく、そろそろまじめに検討すべき問題であるように思うわけだ。キーワードをググって見ると、見事に同じ種類のものだけがヒットする。要はニューエイジ系なのだが、基本的にこの辺は儲かる、というのが資本の直感に見える。そしてたぶんなぜか文部省もそこにお金を落としているように見える(呉越同舟の可能性もあるが)。たとえば
http://www.human.ritsumei.ac.jp/project/project5/
てなことになっている。教員養成課程の生き残り策というのが制度的な存在の理由なのだろうが、悪意でやっているというより、やはりそこにニーズがあると判断しているのだろうし、じっさいそこにはニーズがあるように見える。
ただしこれは、私学の女子大で(今は知らないが、少なくともかつては)英文学科にやたらと人が群がった、というような社会全体からみると無視してよいような現象である可能性もある。が、微妙に邪悪な感じもないではない。というか個人的には薄ら寒い。

下でも書いたがアルチュセールの「科学者のための哲学講義」はねずみにとって、もっとも大事な書物だったりするのだが、そこで批判の対象になっているのはジャック・モノーだったりして、ああ、昔はずいぶん高尚だったなあ、と思う。現実はもっとつらい。
結局、オウムの問題やなんかは、もうなかったことになっているわけだし、アメリカのファンダメンタリストが馬鹿だとか、ぜんぜん笑っていられない。ただ良くも悪くも日本の社会運動は非政治的なので違って見えているが、いつまでそうなんだろう。

臨床心理士の国家資格化は、たしかに、まだこういうのの歯止めになるかもしれない。

崩壊してゆく地縁関係ないしは血縁関係などを、擬似宗教的なものによって代替しようというのが、明治以来繰り返されてきた失敗のパターンだ。(ミクロなレヴェルでは水平的な友人関係がその代替となるが、そもそもそのような関係構築のためのきっかけそのものを見つけるのが難しくなっているということでもある。)観念して徹底して世俗的な水準で、社会化、とか社会紐帯の構築というのを、半ば無理を承知でやらざるをえないか。社会連帯でもいいが。ただ福祉国家じたいがへなへなになっているので、より困難ではあるが、よそである程度やれている程度にやれればいいわけだから、愚者の阿片を放置するよりは、そのほうがいいかもしれない。