アリンスキー・ノート5

ラディカルよ目覚めよ

わたしたちの近代的都市文明のなかで、ひとびとは、アノミーにうちひしがれています ―― それは自分の隣にだれが住んでいるのかも知らず、関心すらもっていないという生活のスタイルです。人びとはコミュニティからも、そのネーションからも切り離された生活を送り、社会のなかで自分ではもうコントロールもできない力に押しやられ、小さな個人的な世界に閉じこもり、集団にとってなにが良いことなのかということよりも、何よりも個人的な価値が重視されることになっています。こうした都会のアノミー的な生き方、社会全体のなかでの生活から個人が切り離されてしまう生活は、デモクラシーの基盤を掘り崩してしまうのです。というのも、いくらわたしたちがデモクラシーの市民だと言いつのって、四年に一度投票したところで、人びとの心の奥底では、自分たちの居場所はないということを感じてしまい、つまりは「カウントされる」ことがないと思い知らされてしまうからです。
アリンスキー『ラディカルよ目覚めよ』1946

アリンスキーはこのバック・オブ・ザ・ヤードでの経験をもとに一冊の本を書く。シカゴ大学出版局から刊行されたこの本を社会学的な研究書と呼ぶことはもうできない。じっさいダニエル・ベルもこのアリンスキーの著作を評して「扇情的な政治ビラのようなもの」あって「オーガナイザーのための手引き書にすぎない」と書くことになるだろう。アリンスキーは地域社会の問題点を探るうちに、まさに問題そのものの解決を住民自身の手によって行うという方向へ、決定的な一歩を踏み出すことになる。「まちづくり」とも「地域振興」とも訳されるこの活動(あるいは「町おこし」と訳すひともいるかもしれない)は、そうした訳語から想像される以上にいっそう政治的な性格を持っている。決定的な第一歩は、バック・オブ・ザ・ヤード近隣評議会と呼ばれる住民の自助組織の立ち上げである。アリンスキーは、この近隣評議会を「社会的、宗教的、政治的な断絶を埋める」ための戦略的な拠点と考えていた。アリンスキーらが、手はずを整えた、この評議会の構成員のなかで、とりわけ重要かつ、中心的な役割を担うことになるのがカトリック教会と労働組合というふたつの団体の代表ではあったことはすでに述べたが、その他、企業経営者など、この地域共同体を構成する公的私的、さまざまな団体の代表がこの評議会には参加している。アリンスキーのこの試みは、こうした地域の「草の根」のリーダーを育成することをその最も重要な目的としていた。「住宅問題から食糧問題、賃金から衛生の問題、児童福祉から都市行政」いたるすべてのこと、つまり「生活のあらゆる領域」にかかわることがらが問題となる以上、現在、このコミュニティに住み、そして住み続ける人びと以上に、その利害に直接関わっている者はいない。アリンスキーらオーガナイザーはあくまで、この地域のひとびとが、その境遇の改善を「死にものぐるいの戦い」を通じてみずから「勝ち取る」ことを支援することをその役目としている。アリンスキーのこの書物は、社会学ではなくむしろ経営学(リーダーシップ論)や政治学(地域政策)といった分野の研究で扱われることが多いことも、こうした文脈から見ればむしろ当然といえるだろう。
さまざまな困難を伴いながらも、このアリンスキーのプロジェクトはひとまずは一定の成功を収める。自治のための組織、自立/自律のための組織である近隣評議会は、シカゴの政治状況における無視できない一勢力となるまでに成長してゆくことになる。それとともにアリンスキーの名前も知れ渡ってゆく。このときの経験を描いた彼の書物『ラディカルよ目覚めよ』は彼の名を一躍高からしめることになるが、この成功に先立って、すでに新聞や雑誌を通じてアリンスキーの名は知る人ぞ知る存在になっていた。彼はいつしか調査する側からされる側の人間になっていたともいえる。そして戦後、彼の名をさらに人口に膾炙させることになったのが、すでに引用したジェイン・ジェイコブスによる名著『アメリカ大都市における死と生』のなかでのアリンスキーらの活動の紹介である。自動車を主たる交通手段とした大規模な都市計画の試みにたいして、決然とノーを突きつけ、徒歩圏をベースにした自律的な近隣街区による都市生活を称揚したジェイコブスのこの書物のなかで、アリンスキーらの試みは、きわめて高い評価を受けることになる。だが皮肉なことにジェイコブスのこの書物が、アリンスキーらの活動を肯定的に紹介したそのとき、その活動はきわめて重大な転換点にさしかかっていたのである。