頂き物。岸政彦『街の人生』勁草書房

街の人生

街の人生

著者の岸さん、いやきしどんからいただきました、あ、きしどんがくれました。ありがとう。
いろいろ心配してたんだけどw、すごくいい本だと思う。きしどんと会って、こういう本を読みたかったな、と思っていた本がああ、ここにあるなあという気がする。

相手が面白いこと言うと、競争心を出して、もっと面白いことを言わんと気が済まんひとやから、こんないかにも聞き上手みたいな相づち打ってるはずがなくて、どう考えても、まあもっとしゃべってるやろとは思うけど。

いい本だと思う。表紙も普通でいいし。21世紀だんもんね。ふつうはこういう感じになるよね。表紙は、きしどんが指定したみたいで、やっぱりなって思った。KS書房っぽくなかったから。KS書房って、頭文字にしてもあんまり意味ないけど。
さすがにむかしほど酷くはないけど、それでも学術書だからこんな感じだろ的ないっちょ上がり感が伝わってくるデザインがいまでも多い。たぶんそれってデザイナーのひとが感覚が古いはずないから、こういう感じにしないとダメだってって、デザイナーのほうが、消費者じゃないほう見て決めてるからなんだろうなってずっと思ってた。たぶん僕らの世代あたりだと、けっこうたくさんのひとがそう思ってるから、独立してできたような小さな出版社の本のほうが、そんなに金がかかってなくても魅力的な装丁の本が多い気がする。たとえそれはそれなりに「いっちょ上がり」の仕事であったとしても。

なかみもすごく「新しい」と思う。新しいって書いたけど、聞き取りを聞き取りとしてまとめた本だからそういう意味では、じつは類書はほかにも多い。ルポライターっていう仕事がまだ輝いているような感じがしていた頃は、こういうインタビュー集っていうのはたしかにあった。まあでもなんかが違うような気がするけど。かつてときめいていた猪瀬直樹にもそんな本があったはずだ。目を外に向けたら、スタッズ・ターケルがいるし、ずいぶんとあの本も売れたはずだけど、けど、いつしかそういう本はなかなか見つけにくくなった。

ブログの時代になって、ああって思ってことがあって、それはとても自由だって感じがしたのはいまでも覚えてる。

まあ大学の周りでずっと生きてきたし、ちょっとそういうところに近い人たちが手の届く範囲にいたこともあったから、出版も含めてだけど、そういう業界を遠くから眺めることも少しはできた。眺めるというか、耳に入れるというか、入るというか。しかしまあそれは、なんか窮屈で、窮屈だけじゃなくて、「ウゼー」って感じがすごくしていた。このブログの時代は、その「ウゼー」っていう感じなしにああ思いついたら文章書いていいんだっていう感じがすごく開放感があった。

結局忙しくなってしまって、このブログもいつしかあまり更新しなくなっちゃったけど、最初にブログを書いたときに、何にも言わないのにぱっと見つけてきたのがきしどんだった。あれ王様やろ!って言われて、あれ?って思ったのを覚えている。王様って言うのは、まあ自分のことをねずみ王様とか言ってたからだけど、まあ誰も読むと思ってなかったら、いい年して、ねずみだチューとか書いてたたんだな。ばかだなあ。

でもまあ書いたら速攻で見つかって、書いてるともなんとも言ってなかったから、そうか、読む人がいるんだ、そして書いたら誰かが勝手に見つけるんだっていうことをビックリしながら思った。

最近はマスメディアの評判が悪くて、まあぼくも意図的にdisってる。意図的にって言ってもまあ、おまえらいい加減にせえよって思うからなんだけど、そういうこととは別に、ぼくがあの業界を遠くの方から見ていて、あーあ、って思ってたことがやっぱりブログ時代になって、隠しようがない感じで明らかになってしまったということはあるだろうなって思う。

もちろんいまも大江健三郎の新作を読んでいて、これはもうほんとうにさすがにすばらしくて、いろいろ文句はあってもたしかに並のものではありませんという感じがヒシヒシとする。でも、なんかこう「あれ?」っていう人たちがいて、なんというかなんの普遍性も一般性もない、ただ出版村のひとですというだけのひとたちがなんだか出版村のご出身というだけで、いろいろ文章を書いて、何か普遍的だったり一般的だったりする顔をしてるなあって思ってた。まあコネだね。

べつにコネはまあコネで仕方ないけど、(この本の中にそういう話も出てくる)、けっきょくそれがいつの間にか、ごく当たり前というか、ある世代のひとだったら、同じようにやっつけ仕事するんでも、なんでこんな風なものになっちゃうんだろうっていう不思議な商品が結果としては少なからず出版される世界になって、「才能」とか、「感覚」とか、そんな大層なものでなくて、ちょっとづつ世代は違っても、同じ時代を共有してて、そんなかで当たり前に共有されてる、「ふつう」の感覚、べつにおれらヤンキーでもないし、「ミンカンのおっちゃん」でもないし(ああもうオッサンになってもうた)、いくらなんでも、「あれ」じゃなくて「これ」だよねっていう、当たり前の感覚が失われてる時代があったような気がする。
***
ああこんなつまらない人間のつまらない話を金を出したひとに読ませるぐらいならA研で(だいたいは僕よりも若い)院生やODや、それこそきしどんたちが報告してるような話を、もっと多くのひとが読めるようになればいいのにってずっと思っていた。ずっとってまあ、なんかつまらないものを読んだとき。かならずしも研究書とか、論文にはかぎらないというか、むしろそれ以外のもの、つまりジャーナリズムと称するものを読んだときに、すごくそう思ったかもしれない。
A研っていうのは、いまはもうやってないけど(開店休業なのかな)、きしどんはじめ、市大の社会学の院のひとたちを中心にやっていた研究会だった。京都から大阪に、大阪というか堺だけど、まあ南河内にやってきて、そこで誘われて社会学者でもないのに、ずっとその研究会に出ていた。すごい面白かったから。だからほとんど休んでないと思う。で、たくさんの(多くはぼくよりも若い)友達ができた。ぼくはほんとうに多くのことを学ばせてもらったと思ってる。

いろんなひとがいたA研だけど、もちろんそこには「おさい」こと斉藤さんもいて、おさいが発表すると、みんな質問するんだけど、おさいが答えようとするまえになぜか岸どんが先にしゃべり始めて、車がエンストするときみたいにおさいがガックンとなって、ほんとにドリフのコントみたいだったんだけど、それが何度か続いて、かならずおさいが途中で切れるという感じだった。

ちょっとなんか懐かしくなってる。
***
この聞き取りもそうだけど、活字になったものの背景にはほんとうに膨大な量のテープ起こしや、テープに記録されてなかった話があって、それはなんというか「面白い」ものであった。なぜ「面白い」のか、うまくはいえない。けど、それは別にとくに劇的でも、いかなる意味でも「特別」でもない友達の話を聞くことが、たとえばそれは相談であったり、愚痴だったりもするんだけど、でもなにかそこには「意味がある」ような感じがするひとは多いんじゃないだろうか。

変なたとえかもしれないけど、お葬式でそういうことがあることが多い気もする。

もちろんA研で聞いた話はもちろん相談や愚痴じゃなくて、そののち論文になったりするものだったんだけど、ああいいなあと思う要素というのは、あんがいと論文では消えてしまったりするのが残念だった。けど、この本にはそのときに、ああいいなあと思った何かが残ってる感じがする。

岸政彦は、かならずしも狭い意味でのブログ時代の書き手ではなくて、その少し前の時代からインターネットの世界でいろいろと書いたりしゃべったり暴れたりしていたし、社会学者としてはもうほんとうに伝統的な調査屋さんで、インタビューなのに、ひとの話を聞かないで、じぶんばっかり喋ってるみたいなことになったりもすることはあっても、まあみんなが百歩譲れば、そういう意味では職人さんだと思う。けど、それが岸どんの面白いところなんだけど、なんかそういう職人気質みたいな部分と「現代」というか時代の感覚みたいなものが同居していて、インターネットが開けた風穴のなかから、それをこじ開けてインターネットがつないだそのほかの「社会」に、ずかずかと押し入ってきた、そういう書き手だと思う。

前書きを読むと「日系南米人のゲイ、ニューハーフ、摂食障害の当事者、シングルマザーの風俗嬢、元ホームレスの普通の人生の記録」とある。

これだけよむと、なにか特殊なものであるかのような印象を一瞬持ってしまうかもしれない。でも、読めば、誰でもあっ、そうやったんか、って気がつくと思うんだな。つまり。それはほんとうに自分の隣にある生活の一コマで、耳さえ傾ければ、傾けた耳に語りかける気になりさえしてもらえれば――たぶんそこに職人技なのかなんなのか、そういうものがあると思う――、すぐそばにある「ふつう」の社会の出来事だってことがここではっきり描かれてると思う。A研でみつけたものもその「ふつう」だし、ブログの時代になって空いた風穴のおかげで、ぼくのような読者が読みたいなあって思ってことはきっとこれで、話す/書くことと聞く/読むことのあいだに本来あって欲しかったような関係が、その「ふつう」とのあいだに成立するような関係だったんだなって思う。

でもこの普通があんがいとできない。売れないからだって業界のひとはいうんだろうけど、違うんじゃないかなっていう直感はある。

これはまあ友人の本だし、もらった本やし、もうムッチャ宣伝としか言いようがないけれど、いやこの本が読めて、よかったなと思う。そしてこういう本を出すことにしたKS書房もよかったなと思うし、編集のひともえらかったなと思う。たくさんのひとに読んでもらえればいいなと思う。

ネグリの季節?

某O氏が、あれは読めるよ!と驚いていたので、じゃあと買ってみたら、編集の大村さんがわざわざ送っていただたところでした。そういうわけでなぜか同じ本が二冊になって、何かファンのようになってしまいましたが、まったくそういうことではありません。
この本はなかなか表紙がいいのですが、その他にも、筆者がMultitudesというフランスの雑誌に買いた原稿が日本語に直され、かつ当時の執筆経緯がそれぞれの冒頭に付されています。厚い本なので、まだ全部は読めてはいないのですが、かつてフランス語で読んだ論文を日本語で読みなおし、つい最近ではあるのですが、あの頃を懐かしく思い出しながら、いわば一種の裏話を知って、ああ、そういうことであったのかと納得したりもしています。たぶんそれは現在の日本の状況も関係しているのかもしれませんが。

存在論的政治: 反乱・主体化・階級闘争

存在論的政治: 反乱・主体化・階級闘争


おそらくこれは市田良彦ネグリ論なのであろうなという予感とともに、実際に目を通してみるとたしかにそうであって、かつて友人たちと読んだネグリを、近いうちにあらためて読み返すことになるのだろうなと確信めいた思いがわき上がってきた。
9月にまたアレントとつきあうことになるので、どこかでアレントとつきあわせながらの読書になるのだろうが、どのみちそれはアメリカを読み直すということにつながるのだろうと思う。

花登筺の60年代

もう一〇年以上昔、ある研究会で、花登筺の甥に当たる人の発表を聞いて書かれた短い文章。仲間内で回覧された。

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 花登筺がテレビの創成期において重要な役割を果たしたことは誰も否定できない。けれど彼はむしろ舞台の人だった。花登筺はテレビにあっても舞台演劇の演出家であったようにすら見える。

 花登善之助、のちの花登筺が敗戦を迎えたのは17歳のときである。彼の大津商業学校時代はちょうどアメリカとの戦争に覆われていた。そして中等学校が終わり、戦争が終わる。敗戦の翌年、花登青年は商業専門学校に入学し、新学制により大学となった同志社大学を1951に卒業する。いわゆる逆コースにいたるまでの、「民主化」の時代を彼は大学生として過ごす。そして同じ時期に彼は演劇と出会う。CIE(GHQのなかの教育関係の部局)は日本の民主化推進を目的とし、学校教育ともに社会教育を推進するが、それを中心となって担う機関として各地に公民館を設置した。事実それは地域の政治および(すなわち?)文化運動の中心となるのだが、20歳の花登善之助もまた大津公民館において「人間座」の設立にかかわることになる。だが目指すものが異なっていたのだろうか。半年後にはみずからが主宰し、「文芸座」を立ち上げるだろう。旗揚げ公演として花登が選んだのは菊池寛(「父帰る」)であった。人間座は菅原卓(「北へ帰る」)を選んでいるのだが、そこからはこの二つの劇団には方向性の違い−−というよりも時代を考えるなら、花登善之助の関心のズレというべきだろうか−−が伺えて興味深い。

 長雨のなかの晴れ間とでもいうべきこの敗戦直後の数年間を、高等教育機関に身を置いた花登青年は演劇とともに過ごす。もちろん養子に出された以上、時がくれば、彼は家業を継がねばならない。彼は同志社大学を卒業し、はれて学士となるが、就職先はしかし昔ながらの船場の商家、田附商会という繊維問屋だった。たしかにいつも彼は戦前との連続の中に生きている。彼は東京支社に配属となり、復興の首都をその目で見る。けれども演劇の夢はやみがたい。二年後の1953年、健康問題を理由に退社する。NHKの本放送が始まった年である。

 早生まれの彼はおそらく植木等と同学年であり、テレビの創成期を支える青島幸男らの世代よりほんの少しだけ年長である。青島と同じ1932年生まれに、谷啓小林信彦(ちなみに大島渚石原慎太郎五木寛之も同年。)33年に永六輔澤田隆治、あくる34年に井上ひさしが生まれている。世代論には注意せねばならないのだけれど、しかしここにある差はそれほど小さなものではない、と思う。彼らテレビの創成期を支えた若者たちよりも、花登筺はほんの少しだけ年上である。花登善之助が本格的に演劇を目指したとき、彼らはまだ中等教育の途中であり、テレビ放送開始時点にあっても、ようやく二十歳になろうかというところである。だがもうこのとき花登善之助はすでに花登筺になろうとしている。彼には演劇という背骨をもってテレビに関わろうとしていた。

 テレビ放映開始時、放送はすべて生放送であり、また録画が可能になったあとも、編集なしの放映が一般的だった。発表でも指摘されているように、その文法は、カットと編集の存在する映画的なものではなく、むしろ舞台的なものである。あるいは幕間がない以上、舞台以上に舞台的であったかもしれない。スタジオの三ヶ所に設えられたセットのあいだを、衣装を着替えながら移動する俳優はさしずめ猿之助といったところか。「番頭さんと丁稚どん」に至っては、スタジオ不足のために、文字通り舞台のうえ、それも南街シネマの上映の幕間に生中継された。澤田隆治を驚かせたこのアイデア花登筺にとってみれば当たり前のことかもしれない。花登筺はテレビのなかで舞台を上演していた。常に複数の人間が画面に存在するという彼の演出の特徴は、おいそれとは移動できない重いカメラのせいだけではなかった。

 花登筺は舞台の人であった。そしてこのことはテレビとは何なのだろうかという問いにあらためてわれわれを向けなおす。1950年生まれの彼の甥が大学時代に見た叔父の作品は、すでにいくらか野暮ったいものだった。たしかに東京の笑いにくらべ大阪の笑いは野暮ったく、さらに吉本に比べ松竹の笑いは野暮ったい。だがこの場合「野暮ったさ」に対立しているのは「洗練」ではない。(このなかで「芸」がもっとも磨かれているのはおそらく松竹だったろう。)「野暮ったさ」に対立するのは、むしろ「才気」なるものによって生み出される「新奇さ」である。新奇さは、定義上相対的なものであり、それ自身にしかかかわらない。何か土台や基礎や、蓄積を必要としないばかりか、それに対立する。蓄積や土台、つまり「芸」は「量産」に向かない。テレビは昨日まで一介の学生にすぎなかった無芸の素人も差別なく受け入れる。青島幸男や大橋巨船の「才気」はたしかにテレビ的である(ところで「才気」とは何なのか)。経験の貧困、とベンヤミンならばいうだろうか。テレビのなかで芸の堕落を嘆くことは倒錯である。テレビはすぐれて「民主的」なメディアであり、堕落すべき何かをそもそももってはいない。

 花登筺はテレビというものにたいして自然な距離を保っている。彼はテレビのなかにいながら、同時にそのなかにはいない。とはいえそれは不思議なことではないのかもしれない。思い出してみれば、そもそもあの時代に彼は菊池寛を選んだのだ。それは何を意味していたのか。花登筺はデモクラシーという残酷な制度のともに生きたのだろうか。あるいはそうではなかったのだろうか。

今年のx冊(候補)

  • ロック二冊

ヴィンセンテリ『アバ・ゴールド (ロックの名盤! )』
ブレイディみかこアナキズム・イン・ザ・UK −壊れた英国とパンク保育士奮闘記 』(ele-king books)
この二冊が今年の収穫であることは、多くの人に頷いてもらえると思う。前者はじつは編集の下平尾直(現株式会社共和国)から寄贈いただいたものなので、文字通り宣伝になってしまい、そういうのはなるべく避けたほうがよかろうから、その意味ではあまりよろしくないのであるが、しかしいいものはいい(だいたい送った本人が独立してしまっているから、結果としては商売敵の宣伝になっている)。

後者はまあ言わずと知れただ。だいたいこんなに文章うまい人の本がずっと絶版であったなどということが、おかしいわけで、日本の出版社はいったいどこに目をつけているのであろうか、頭に宇治茶でも湧いているのであろうかと訝しく思っていたら、新しい編集で出版された。慶賀に堪えない。

アバ・ゴールド (ロックの名盤!)

アバ・ゴールド (ロックの名盤!)

ABBAアナキズムというのもわれながらひどい組み合わせなのだが、しかし面白かったものはしょうがない。とはいえABBAはやっぱりヘンなのだ(いい意味で)ということに思いを馳せていただければ、おそらくこの組み合わせがまったく政治的に正しいことも理解していただけると思う。

正直、ABBAを真剣に聴くということはなかなか困難であることは認めざるをえない。たしかに今日ABBAを語ることがあったとしても、どちらかといえば揶揄の対象として語るということが一般的なのだろうと思う(この文章がすでにそうなりかかっているし)。とはいえ、それはこのヴィンセンテリのやり方ではなかった。もちろん彼女自身、ABBAが揶揄の対象であり、そうたらざるをえない存在であるとは分かってはいるので、やはりクスリと笑える文章に事欠くわけではないのだが、そうしたこととはまったく別の水準で、掛け値なし100%真剣なABBAへの愛が、この書物の価値となっている。本来、愛するものを語ることは失敗を運命づけられているはずなのに、この書物は、貴重な例外となっているのだ。(つづく)

  • 新書

原発事故と科学的方法 (岩波科学ライブラリー)

原発事故と科学的方法 (岩波科学ライブラリー)

これはいつか自分の子どもに渡して、パパにはこれは無理だったけれど、こういうことができたひとがいたのだと教えてあげたいと思っている。結果として適切な判断であったが、もしそうでなかったとしてもこの書物の価値は減じないと思う。
ベーシック・インカム入門 (光文社新書)

ベーシック・インカム入門 (光文社新書)

あわせて読みました。そうすると、時代状況の変化と、社会にたいするスタンスの違いの両方がよみ取れます。

  • 専門書その他

隠遁者,野生人,蛮人: 反文明的形象の系譜と近代

隠遁者,野生人,蛮人: 反文明的形象の系譜と近代

今時珍しい外連味に期待を込めて(もちろん外連味「だけ」ではないので。それだけならたくさんいます。両方ある人が珍しいのです)。

  • 映画


大きいロボットが動いて、大怪獣と闘うのがよかった。

ここにアレントを入れたのは、パシフィック・リムだけだと、あまりにアホみたいに見えるとか、あるいは、かえって腐れインテリの韜晦趣味のように思われて恥ずかしいとかいったことではまったくなく、映画についてはしかし映画館でみたのはこの二本だけ(しかもパシフィック・リムをひとりでこっそり見たことは家族には秘密なので、そのことについては強く留意しておきたい)なので、映画という項目を作っても、この二本しか書くことができないということにすぎない。(ただし正確にいうと今年度の戦隊もの仮面ライダーものは見ているが、もうそれが一昨年なのか、一昨昨年なのかわからないのでやめておいた。)
とはいえ、この映画はインテリ向きの理屈っぽい映画といったようなものではなく、じつはなかなかよい娯楽映画であったと思う。
中身にかんして言えば、友達がいのないやつだと言われようと、宇野ちんの解釈は全く首肯できないと言わざるをえない。(つづく)

頂き物 蛮勇がやってきましたよ

西洋政治思想史 (有斐閣アルマ)

西洋政治思想史 (有斐閣アルマ)

民主主義のつくり方 (筑摩選書)

民主主義のつくり方 (筑摩選書)

著者の宇野重規さんからいただきました。ありがとうございました。

噂のひとり通史を眺めて、思わずツイートしたので、ちょっとだけ感想を採録
宇野ちんの蛮勇がやってきたよ。

昔こうした教科書を読んでずいぶんつまらない本があるものだと思ったことを思い出した。当時のぼくが宇野ちんの本を読んでもやはり同じように思うだろう。

授業にまるで出なかったし、教科書を試験前に読むだけで単位取ろうとしていたから、まあ教科書の意味というか役割が分かってなかったということなんだけどね。

後書きで故福田有広さんへの謝辞があるけれど、ハリントンがホッブスとロックに挟まれてひとつの独立した節になっている。

文献表、とりわけ二次文献の表は、ほぼすべて日本語で読めるものから選ばれているけれど、それを見ても、同時代のこの日本語圏での成果というものにたいする宇野重規なりの評価なんだなと思う。

新しい教科書だなと思う。それは一次文献にフーコーが出てきたり、最後の章でハートとネグリに重きを置かれていたりするからそう感じる以上に、16世紀の宗教内乱期の思想やさっき言った17世紀、19世紀、自由主義者を、革命を終わらせようとした人びととして描くところなんかにより強くそう感じる。

教科書というのは、おもしろいもんだなと、まあ今になって思うけれど、まあこれはこの歳になったから言えることだし、あまりそのおもしろさは、なかなか世代を超えては共有しがたいものだな。

頂き物(教育さん週間?)『福祉国家と教育』

以前は一緒に会議室で夕飯を食ったり教育さんと仲良くしていたのですが、最近はそういうこともなくなり寂しい思いをしていたら、矢継ぎ早に教育学の本が。もっともこの書物の中で強調されている「比較教育社会史」というアプローチには、(なぜそこに境界線があるのだと門外漢の者からするとときどき不思議な気持ちにさせられた)これまでのスタイルを内側と外側――ここではもっぱら歴史学――の両方から開きましょうという志向がはっきりと表明されているのですが。(もちろんこのジャンル意識というか無意識は、教育学に限ったことではなくて、社会学にも政治学にもときおり感じることではあります。)
橋本伸也氏による近代国家成立(つまりは自由主義を出発点として結局は福祉国家の成立とその危機に至る)にかかわる諸論点について、かなり広範にわたる――ポリツァイの話から始まり、今日の教育改革にいたるまで――問題提起を受けて、比較的論点を絞ったかたちで、各研究者が近年の研究動向を踏まえてレスポンスを行うという体裁の論集です。
たしかにそこでは公共性と中間団体、人口管理、公教育と世俗化、救貧と社会福祉、そして福祉と教育、そして両者にまたがる性別役割の反映や、地方自治と財政との関係など、たしかに今日、わたしも含めた、ある種の人びと「共有された」問題関心というようなものが確認できます。
そうした個別研究からのアプローチを踏まえて、第三部で森直人さんをはじめとしたお三方によって、「いわゆる」教育学を外枠とすることを与件とすることなく、しかしや教育は(福祉―教育という領域に、ほとんど明快な分割線が引けないために)、福祉国家そしてポスト福祉国家のなかではある特権的な分析の対象となり得るものであることが、示されようとしているように拝見しました。もちろんもらったばかりでちゃんとは読めてないのですが。

たしかにフーコーって「ほとんど」教育さんだという感じはするのです(わりとちょっとdisられてましたが)。

おそらくエスピン=アンデルセンとともに、前半部分でその「(賃金)労働」との地位の変容という角度から福祉国家を理解しようとしたロベール・カステルの枠組みが利用されていることがわざわざ送っていただいたのであろうと思います。ありがとうございます。

しかしかつてのマルクス主義のような土台とまではいえないものの、わたしたちにはなにやら共有すべき視点、あるいは文脈のようなものが、この危機の時代においては、それが危機であるかぎりで、持ちうるのかもしれないというような感想を抱いたことも事実であります。

っていうか、もらったまま、読んでから感想書こうと思って、ここに書けていない本が何冊かあるのですが、読んでいるからこそ書いていないということなのであって、送ってくれたのにすみません。そのうち書きます。

頂き物

先日東京でお会いしたばかりの訳者の澤田稔さんからいただきました。ありがとうございます。

デモクラティック・スクール 力のある教育とは何か

デモクラティック・スクール 力のある教育とは何か

ひどく丁寧に書かれた訳者解説を読みながらちょうど『社会的なもののために』のなかでも議論の対象とした、チャーター・スクールについてのがここでも紹介されていることに気がついて、理念的な話も大事なのだけれど、それよりはじっさいにどういうかたちで存在して、どのような効果ないし影響を及ぼしているのかが気になっていたので、これは一つ手がかりになるかもしれないと眺めてみたり。
ちなみに訳者の言葉を借りれば

学校選択制やチャーター・スクール(特別認可学校)は、より徹底した私事化政策であるヴァウチャー計画と主流の公立学校制度との間に現れたある種の妥協案であるだけに、不可避的に両義性を備えた施策だとはいえようが、ここで指摘しておきたいのは、新自由主義と一括され、左翼的な立場から批判の対象になることが多い政策方針や「市場」メカニズムも単純に否定できないということである。たしかに、徹底した市場原理主義を公教育に適用しようとするような新自由主義的政策に異を唱えることには正当な理由があるだろうが、同時に、上に見たような両義性から目を背けず、その政策の具体的な中身をつぶさに検討して、それがどのような両義性をそなえているのかを丁寧に明らかにする作業が必要ではないか。

とある。その他にも、ちかごろ流行のポートフォリオ(うちもやっている)の話などが、実際の教育実践のなかでどのような機能を果たしたのかといったことが紹介されているようで、これはなかなか面白そうで、たぶん教育学関係の人にとっては、たとえば導入教育で使うには良い本なのではないかとふと思ってしまったりするあたりが、我ながら歳を取ったなと思わぬでもないなど。