山口二郎『戦後政治の崩壊』

意外によかった。意外にというのはぼくはちょっとこの著者を苦手にしているところがあって、それはたとえば

筆者はリスクの個人化という小泉改革の政策路線には反対である。しかし、自民党・官僚連合体が長年築いてきた裁量的政策によるリスクの社会化の仕組みを一度は解体しなければ、公正なリスクの社会化政策を作り出すことはできない。その意味では小泉政権には旧体制の解体屋の役割を期待した。
 経世会型の政治手法では、族議員や官僚が、地域や組織の欲望のおもむくままに、効率や採算を無視して政策を推進してきた。これに対して、善意に解釈するならば、小泉は一定のルール、基準に基づいて政策を見直すことを図ったといえる。

というようなところ。もちろん、ぼくはこのころ日本にいなかったから、もし日本にいたら、筆者のように小泉に(結果としてであれ)「期待し」てしまったかもしれない。けどまあ。
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このひとも「デビュー」してからずいぶん長いから雑誌や新聞の記事などを折に触れて読んできたけれど、分析は正しいのだが、ちょっと理に落ちすぎるところ(「善意に解釈するならば〜」)があって、そのあたりが肌に合わなかった。もちろん理屈は正しいが現実は違うと言っているのではなく、現実の大事な局面を理屈のなかに取り込むさいの手つきが、なんか微妙に居心地の悪い感じがして、肌に合わなかったのだ。まあちょっとベッドが小さいから、そこにひとが寝ると足が出てしまうんだが、はみ出た部分をちょん切ったりはしないいにしても、知ってて知らないふりをするというか、はみ出た足を見ながら、出ているのは困ったもんだ、みたいな感じ。(うえに引用した部分も「ある意味では」正しい。「ある意味では」。ただ、筆者はもう、こういう「ただしさ」を正しいただしさ、であるとは考えていないだろうけど。)
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意味のない正しさとか、間違った正しさってあるよな。まあ結局は正しくはないわけだけど。でも負けない喧嘩が好きな人はそういうのに拘泥する。
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ぼくがまだ学部学生のころ、筆者がぼくのいた大学のある研究会で発表したことがある。その研究会を主催していた教員の学生だった友人に誘われて、ぼくも物見遊山で(ちょうどそのころ彼は「デビュー」したばかりの新進気鋭の学者だった)その研究会に出て行った。発表は何だったかまったく覚えていないが、おわったあとの懇親会で少しだけ話をしたのを覚えている。彼はしきりに当時のぼくのような「若い」学生が政治に興味関心があるというのはよいことだ、と繰り返していた。それは彼が当時在籍していた大学と比べて、という意味だったのか、地方大学の学生さんが感心に、という意味だったのか、忘れてしまったが、それにしても物見遊山だったぼくは戸惑ってしまったのを覚えている。もちろん当時の彼よりはおそらくは年齢が上となってしまった立場から見直すと、物見遊山であれ、学生がそういう場所にのこのこ出かけて行くのは「感心」なことではあるのだ。けれどそういうことを面と向って言われた、当の学生にとってみると、微妙な違和感なのだけれど、なんとも居心地がわるい思いがしてならなかった。いや、それはちょっと違うんですよ、と言いたい感じ。ピンとはった材料でできた物体の固さ。
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けれどこの本は、この本の与える印象は、やはり相変わらず『固く』はあるけれど、しかしその固さは「居心地の悪い」ものではなかった。ひとことでいえばここにある『歴史』のせいじゃないだろうか。おそらくはもう20年になろうかとしているはずの彼の現実政治へのかかわりが否応なく積み上げた経験は、『歴史意識』と呼ばれるものに限りなく近いある感覚となって、この本のそこここにあらわれているような印象がぼくはある。
経験さえすれば誰しもそうした感覚を手にすることができるとは限らない。むしろ経験がもの見る上での障害となることの方が多いかもしれない。けれどもある硬質な物質がもっている「固さ」が、こうしたジャンルにしばしばつきものの、個人的な経験の過大評価という悪習に染まるのを彼に免れさせているようにも思う。(しかも彼は国政なるものに結びついた結構ディープな経験をしているはずなのだ。彼が数多く聞き知ったであろう「ここだけの話だけれどね・・・・」。)数えきれないほどの経験を、ある明快な軸の上に置いて評価し、判断する知性は、誰もが持っているものではない。これはまあ率直に言って頭のいい人にしかできないのだ。何をとり、何を捨てるか、その取捨選択の妙はそうした硬質の知性のみがよくなしえるところだ。歴史感覚というのは本来そういうもんじゃないだろうか。
ほめすぎているような気もするけれど、まあほんとに、こんだけの厚さでうまく書いたなあ、という気がしたのだ。見通しをつけるためには、こういうコンパクトさは大事なことだし。
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ところで同じように苦手だった橋本治の本はやっぱり駄目だった。三分の一も行かないところでギブアップ。相変わらず苦手、というか、苦手度合いに磨きがかかっている。不思議だ。