もひとつ補足

ほんらいの福祉国家は、あれはあれで、案外ロック的なものだともいえる。というのもドイツにおける新歴史学派とか、フランスの場合Fouilleなんかの連帯主義にせよ、基本的には財産(所有)者の範囲をいかに広げるか、逆にいうと、自己の人身や財産の所有者でないもの(奴隷やプロレタリアート)をいかになくすか、という意図でもって貫かれており、そのかぎりで中道左派っぽい感じがするわけだ。今読むと。社会的所有、とかな。メンガーなんかの労働全収権の話も、路線としてはそういう路線で考えないと駄目で、社会主義じゃないから駄目っていう評価は、そりゃ社会主義じゃないということにしかならない。
あえて身も蓋もない話をすると、福祉国家(だけ)としての絶対王政にロック的自由主義を足したものが、20世紀的な福祉国家だったわけで、そこからロック的自由主義をうっかりマイナスすると、絶対王政に戻ってしまうというのは、まあ自明のことかもしれない。だからまあ絶対王政(policeの権力)というのをきちんと考えんといけないわけだ。
実感とも合致するんだけど、石原って自由がなにより嫌いって話で。官僚って職業上そうなるわけで、私生活では違ったりもするんだろうが、石原は根っから自由がきらいで官僚的なものが好きなんだろうなあ。純粋福祉国家主義者。そういう意味でやっぱりあいつ左翼かもしれないな。社会主義ってほぼ絶対王政だし。銀さんとか。金さんとか。
官僚的なものが好きっていうのと、政治にかかる金をなるべく押さえたいってのはべつに矛盾しないってことで。
もひとついうと官僚的なものと、集権か分権かってことも矛盾しない。
阪上孝「計画の観念とテクノクラートの形成」『ヨーロッパ ー 1930年代』岩波1980

 一番好きな論文だな。