今日は

ひさしぶりにおでかけ。mayakovの友達のA子ちゃんから誘われていたのだが、大阪地下鉄の北の終点にあり、土曜ということもあって、病み上がりのSOPには厳しかろうと今回は断念。代わりに近くのショッピング・センターに久しぶりに行って買い物。Macの月刊情報誌と講談社文芸文庫から出ている新約聖書外典を買う。何人かで訳しており、そのなかの田川健三の解説が相変わらずおもしろく(どちらかというと悪口が、なのだが)、つい買ってまう。翻訳の方針として、正確さより読みやすいものを、というのが編者の意図らしいが、だいたいそのそもそもの大方針に、正面切って反旗を翻しており、内容もまあ彼の本を読んだことのある人ならおもわずニヤリとするもの。(しかしよく読むと彼のほかにもはっきりは書いてないがどうもその方針には服従していない者もいるようで、編集会議は(もし開催できたとすればだが)さぞかし見物であったのだろうと想像される。)人文系の学問では語学ができると、意味なく威張ってよいという暗黙のルールがあるようで、語学ができても数学ができないとノータリン扱いされがちな経済学部出身(まあ確かにその数学崇拝は工学出身の人からすらやり過ぎだと言われた時代もあった)のねずみとしては、当初その風俗にはずいぶんとまどったものだが、こと宗教学(というか聖書学に限定しておいたほうがいいのかもしれないが)というと文献学の牙城というか本家本元だから、英仏独はできて当然。ラテン語ギリシア語も言うまでもないとうかできないと仕事にならず、新約でもヘブライ語アラム語コプト語のと、もうアルファベットですらない言語ができてようやく、少々人様にアピールできようかという風情なので、これはもう必然的に一国一城の主だらけになるのも無理はない。それにしても聖書学関係の本を読むと必ずと言っていいほど、悪口が書いてあって、ある意味、それが楽しい。初めのうちは名指しの部分しかわからないがそのうち、あえて名前を挙げずに、その人の学説だけ挙げて全否定するとか、まあそういうことはほかの世界でもあるが、どうもこの業界が一番厳しそうだ。鞘から出した日本刀でやり合っている感じがする。よく言えばそれだけまじめというか真剣なのだろう。ねずみのような不真面目な人間にはとてもつとまりそうもない(ので、この世界に切り込んでいった上山安敏氏はそれだけで尊敬に値する)。まあ真面目不真面目以前に語学のところの参入障壁でアウトなのだが。

ところでMacの月刊誌(安い方)なのだが、新製品がでたばかりなのに、まるで読むところがない。というかすでに知っている情報ばかり。紙メディアの限界が真っ先にこの業界にやってきていることを実感。どうするべきなんだろうね。エッセー回帰のような気がしなくもないが(つまりスポーツ系の雑誌がそうなので)、カタログ的性格もはっきり持っているから、そう簡単にはいかないだろう。