読書

ばかだから器械体操をやってオリンピックに行こうと思っていた。まったくその才能はなかったにもかかわらず、中学の時は心の底から本気でそう思っていた。6時に始まる朝練の前、一時間早く起きて神社の階段を昇り降りしていたほどに馬鹿だった。けれどそこまでやれば自分に才能がないことははっきりとわかる。最終的に県の(少なくとも)五本の指、おそらくは同学年の三本の指に入るところまでいったが、そこまでいけば、そろそろと見えてくるものがある。誰だったか、この手の肉体を使う競技は、上に行けば行くほど、その差は等差数列ではなく等比級数的に差が開いてゆくと評したひとがいたが、まったくそうだと思う。日本の男子体操は国際的にもそれなりの水準であったから、オリンピックで金をとるという水準がどういうものかは体感的にわかる。わかるというのはおれには不可能だということがわかるのであって、つまりはきっとおれにはあの世界はわからないということがわかるということだ。努力でなんとかなる競技もあるかもしれないが、体操は(体操に限らないが)年齢制限というか定年がある。定年までになんとかせんとあかんのだ。修行の末、達人になることはできない。
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運命の偶然で某実業団を社会人選手権優勝に導いたコーチが、故郷であるぼくの田舎に帰り、体操スクールをはじめたばかりだった。彼は当初女子だけを教えていた。すでに男子にはコーチと称するひとがいたので遠慮していたのだと思う。
先生の眼鏡は四角くやたらと小さくて、黄色く色がついており、かけると斜めになるような角度がついていた。普段はもちろんトレパンだが、大会ともなると黒の、ぴちぴちのタイトなスーツを着て、赤とか黄色の原色のシャツに細いネクタイというほとんどチンピラにしか見えない格好で体育館にやってきた。体操の世界でもどうも一匹狼だったようだが、そうでなくても、ヤクザの多い地域だったから、知らない人がみたらそう誤解しただろう。エチゼンにその話をしたら、それはモッズだ!と喜んでいた。たしかに。典型的なモッズだったのに、田舎のガキだから、なんで先生はこんなヤクザみたいな格好をするんだろうとしか思ってなかった。考えてみれば彼はいまのおれとそれほど年齢は変わらなかったはずだ。
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それまでいた「コーチ」は、田舎にありがちなことだが、まあ善意で見てくれてはいたがとてもそう呼べるような能力はなかった。(その他のほとんどのクラブがそうだったように)見よう見まねで、勝手に半ば遊びながら練習して、時間がくれば帰る、というようなものだった。だから県大会で上位を占めた女子とは異なり、郡大会も突破できないようなへなちょこ体操部でしかなかった。ただ上級生を、あだ名で呼ぶような「リベラル」さはあって、それは心地よかった。二年生になって、一学年下にそのコーチの息子(彼ももう死んでしまった)が、入ってきたことがきっかけだったかもしれない。中学二年の夏休みを過ぎる頃から、少しづつ基本的なことを教えてもらえるようになった。そのころすでにぼくを体操部にさそった親友のヤマチャンが転向していなくなっていたから、よけいにもう体操しか目に入るものはなくなっていた。
ちゃんとした指導者がいるかいないかでこんなにも違うものかというのは、もう笑ってしまうぐらいで、気違いじみた努力と相まって、一年ぐらいの間に、どんどん競技能力は伸びていった。三年生の夏休みになる頃は、ひょっとしたら県大会で優勝できるようになるかもしれないと思うようになった。
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でも正しくは、環境的にも恵まれ、さらにそのうえ、そこまでやってもその程度、なのだが。
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ただ、これは無理だな、ということも同時にわかりはじめる。けれど子供だからそれを認める勇気はないので、いっそう盲目的に体操に没頭する。けれど最後の大会を前に、その前哨戦となる大会の最後の鉄棒で落下して骨折をしたおかげであきらめがついた。骨折をした晩、酔っぱらって押し掛けてきた「先生」が、泥酔したあげくに、もういいよ、体操はもうやめてもいいよ、じゅうぶんやったよ、と言ってくれたからだ。(しかしそこまで言わせたということだから、よほど無理をしていたんだろう。)その晩のことは家に押し掛けてきたところまでは覚えていたらしいが、ほとんどの記憶は飛んでしまっているらしく、なんか不都合なことはなかったか、と翌日真剣な顔で聞かれた。
しばらくしてぼくに才能はありますかね、と聞いたら、モッズのコーチはあるよ、なければコーチしないよ言ってくれた。
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いま思うと子供だったのだな、と思う。世界が狭いから何かを賭け出すと本当にすべてが賭かってしまう。いいことかわるいことか、それいらい自分でやるスポーツでは勝ち負けにたいしておざなりな興味しかもてず、結果として一生懸命スポーツができなくなった。体を動かすのは快だが、それとこれは違う。それにやろうと思っても、もうしんどくて、あんなことはできない。やろうとは思わないし、それでじゅうぶんだが。
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べつにそういうことと関係するわけではないのだが、アガンベンを読もうとしてまた挫折した。どうにもこのおっさんは筋が悪い。頭の善し悪しとは筋がいい悪いは(たぶん)別で、アガンベンという人の書いたものを読んでいるとイライラする。ああ頭わるい、という感じなのだが頭悪いはずがないんだから筋が悪いんだろう(もちろんおれが悪い、という可能性もあるが、それは仮定により排除されている)。たぶんbio-politiqueのことをなんか書いているというので、読もうとしたんだな。もともとは。
フランス語ができなかったし日本語で読もうとしても意味が分からなかったから、35才になるまでデリダを読んだことはなかったのだが、彼に興味を持ったのは、授業でアガンベンをくそみそにけなしていたのがおかしかったからだ。こちらとしては最初はデリダアガンベンも同じようなもんだろ、という印象だったのだに、授業に出てみるとデリダはなかなか面白く(フランス語の能力ないから6割ぐらいしかわからなかったが)、どうやらアガンベンのようなものじゃないようだということで、それじゃあ読んでみようかという感じで読むようになったのだった。で、まあ読んだら面白かった。
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とまあ本来は、そういう道筋で浮かんできた思い出なのだが、結果的に関係してしまうのは、最近読んで面白かった本のマット・リドレー『やわらかな遺伝子』紀伊国屋だ。
やわらかな遺伝子
タイトルをだけ見たらとても買って読もうとは思わなかったが(ねえ。こんな手垢にまみれて、内容のなさそうなタイトル)、原題を見たらnature via nurture -- Genes, Experience and What Makes Us Human,というもの。つまり『生まれか、育ちかnature or nurture』というゴルトン以来のイデオロギー闘争上の標語をもじったものだった。内容的にはタイトルのままで、「生まれは育ちを通じて展開/説明される」というもので(ドゥルーズっぽいですか、ごめんなさい)、まあ有り体に言えば、お互いいもしない仮想敵をでっち上げて勝った負けたとやってもしょうがないでしょ。科学の実質とはあんまり関係のないイデオロギー闘争はもういいんじゃないですか、というもの。(中身については身も蓋もないっちゃ身も蓋もないが、しかしまあしゃあないこともある)。
これを教えてくれたのは友人のマッキー。小さな大学だから昇進の審査で他分野の人がはいるというルールがあって、それでマッキーの論文を一通り全部読んだ。(解説書じゃなくて通常のペーパーを読むことができたのはいい経験だった。自分の理解の限界がわりと分かる。)マッキーはコネクショニスト(わりと穏健派)で自分でプログラムしてニューラルネットを作ってみて、という、ちゃんと研究している友人で、穏健派とはいえコネクショニストのまあマッキーがバランスいいっていうんだから、そうなんだろうと買って読んでみたら、実際そうだった。訳も(ピンカーのとは違って?)まずくなさそうだし、ということは、タイトルさえ我慢すればいいわけだ(ピンカーの時は、ココゾというところで、あからさまにええ?というところが何カ所かあったよな。まあ翻訳については(それに限らず)唇寒しだが。人生の恥はかきすて)。
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こういうのもあった。
http://cruel.org/books/pinkercorrect.html
にゃる−。ところどころひっかかったわけだ。ぼくはマンネリズムマニエリスム)でかっくし、となったわけなのだが、固有名詞を間違えると目立つよなー。翻訳はこわいなり。
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たとえば「本当に科学が好きな人なら、意見がひとつにまとまろうとするのは面白くないはずだ。」などというフレーズには素人の科学好きにしてみると、まったくその通りという感じで(僕らの世代の社会科学は、まだそういうわけにはゆかんかったからな!)。ピンカーも悪くはないんだけど、ときどきイデオロギー過多(ベッドから足が出たら切っちゃえ!)になるときがあって、まあ読み物としてはこちらのほうが好ましかった(最近のものになるほどそうで、彼はさいきん現場の研究から遠ざかっているのだろうか?こんなのは証拠が出たら終わりなんだからあんまり「論争」してもしょうがないと思うんだが。アメリカにいるとそういうわけにはゆかんのか。)。
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ところでベッドから足が出たら、家を建て直そう、というのがおれは好きなんだがだめか。
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ああ、ただちょっと個体にかかわる運命と人口にかかわる統計的認識のところを混ぜてはいけないよ、という注意はもっとやっておいてほうがよかったのではないか、とも思う。が、まあそれはこっちの仕事か。
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あと同時に推薦されたのが、ノーム・チョムスキーの『生成文法の企て』岩波、というやつ。これは固いけど、訳は間違いはなさそう。まだ全部読んでないけどいまのところかなり面白い。むかしから数学的帰納法というのは実に不思議なかたちをしているよ、と思っていたのだけれど、なるほどあの不思議な感じは、そういうことと関係している可能性があるのか、と思ったよ(あるいはそもそも関数を考えることができるということの不思議さなんだろうか。関数って要素のベキとったりして結構ややこしいかたちしてるんだよな。むかーしちょこっと考えたけど、自然数と無限っていうといつもこの辺が引っかかるんだ。)。ぼんやりと不思議な感じにひたるというのは、暇つぶしには最適。暇ってイッコモないんだけどな!
ただ訳者による解説はクリアーなんですが、むしろおく順番を逆にしたほうが・・・。却って、ここでつまづくひともいるような・・・。気のせいすかね。
生成文法の企て
コネクショニストのほうも脳の中身がじょじょにわかってきて、生成文法派のほうもミニマリズムになって、互いにずいぶん近づいてきているように見える。
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しかしこれを読んでいると、チョムスキーというのは筋のいい、「見えて」いた人だったんだなあと思う。