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負の所得税とは

従来の正の所得税の体系では、課税最低限を設けることによって低所得層を保護しながら、最低限を超える所得に対しては累進税率が課されている。他方で、母子家庭の一部や身障者家庭など働き手のいない家族、および失業者家庭などいわゆる欠損家庭に対しては生活保護のための所得保障が行われている。ところが、アメリカでは働いている貧困者the working poorの困窮も深刻であり、欠損家庭に対する援助給付額がこれら低賃金就業世帯の所得を上回るという矛盾が見られ、それに伴って意図的に就業を忌避して欠損家庭を装う場合も少なくないとされる。そこでフリードマンは、所得が課税最低限を下回る家庭には、その理由のいかんを問わず助成金を与える(負の所得税を課する)ことを提案しているのである。

辻村江太郎『計量経済学』岩波, 1981の説明によると、負の所得税というのはこういうもので、昔はわりとよく話題になった制度だ。これは「理由のいかんを問わず」の助成金なので、働こうが働こうまいが勝手なのだが、働いて金をもらうと助成金が減らされる仕組みになっている。なってはいるが、減額は働いて手にした額よりも少ない(このテキストでは半分)になっていて、二つを足すと、働けば働くほど、働かない場合よりは必ず手に入るお金が増える仕組みにしてある。
さいしょに聞いたときは、これはうまい理屈ではあるなあと思ったものの、実際に実験的にやってみると、あんましうまくゆかなかったことも併せて知るにつけて、やっぱり市場重視での福祉政策は駄目だよねという程度の受容にとどまってしまって、ほとんど記憶に残らなかった。この本にも、うまくゆかなかったことの経済的な含意が書いてあるのだけれど、そのことを深く考える理解することをしなかった(いまとなってみると節穴だらけだったなあと思う)。
基本的にはこうした制度に代えてしまうば、生活保護などにつきものの面倒くさい資力調査とかもやらなくてよくて、小さい政府の実現にも役に立つというような文脈であったせいで、小さい政府?ナニ!だったし、フリードマン=persona non grataという偏見もあったかと思う。

計量経済学 (岩波全書セレクション)

計量経済学 (岩波全書セレクション)


ある日気がついてみると、Basic Income というのが出てきた。乱暴に言えば、国民(でなくてもいいのだが)全員に一律に一定の基準額を支給する代わりに、その他の社会保障を(たぶんほぼ)全廃するというものだ。最初は、本当に実現して、お金をたくさんもらえるならば結構なことだと思ったものの、これを導入すれば福祉の現場であれこれ汚れ仕事をやっている役人の数が減るので結果的に小さな政府になってますます結構というような議論を聞いて、あれ、なんだかどこかで聞いたことがあるぞ、ということになった。すぐには分からなかったものの、そのうち負の所得税と似ているのだというようなことを言っている人がいると知るにいたった。
じっさい上の負の所得税では労働で獲得した所得に応じて助成金が減らされるが、この減額の率をゼロにしてしまうだけだから、モデルが簡単になることはあっても、その反対はないよな、というふうに思っていた。

ある日学生がやってきて、このBasic Incomeで卒論を書きたいというので、日本語はあるの?ときいたら、こういう翻訳があるといって、イギリス人の書いた本を見せてくれた。それでぼくも読んでみて、率直に言ってあまりよい本とも思わなかったけれど(なんとなく党派臭がした)、それでもまあ最低限の議論は分かった。そのときはこれはやっぱりこれは、ごりごりのリベラリズムだなあという印象は強くなって、その分、どうも印象としてはネガティヴなものになった。現実的なのだろうか?という(たぶん)よくある疑問と、そして福祉というのは複雑で入り組んだ冗長な制度であるゆえに、ある意味でその部分が現実には痒いところに手が届くかたちになっていて、この手が駄目ならあの手はどうだというような、セーフティ・ネットにもなったいるという感じもあって、その辺がすっきりすることでかえって制度としては弱体化するのではないかという気分もあったからだ。
(またいつか続きを書くつもりだが・・・ちなみにこういう研究会であった)