追記

現実のユートピアにおいて達成されなかったのは貨幣の追放である。貨幣は欲望を刺激し、ユートピアの単純再生産社会を不可能にする。それはいわばイデオロギーがつねに不完全にしか作動してこなかったことをも同時に意味する。
それが(いわゆる欲望ではなく)怒り(そして悲しみ)として表現されることは印象深い。(狭義の欲望は悲しみともについには実現できないものとして描かれる。)トミー自身の怒りだけではなく、あれほど冷静に対処しようとした語り手の、怒りを引き出すのがトミー(そして親友)であるからだ。その呼びかけはイデオロギーがついには閉じられないことを、ユートピアが成立しえないことを語り手に告げているように思える。語り手は物語のなかのユートピアデストピア?)の方向に戻ろうとしており、それはちょうど古典的なユートピア物語において物語の脱出が語り手=作者によって語られ、現実を帰還が示唆されるのとちょうど対照をなしている。
これを読むわれわれをいささか途方に暮れさせるのは、語り手が手の届かない方向に、古典的ユートピア物語とはちょうど逆の方向に帰還しようとするからだろう。そしてしかも厳密に言えばその帰還は物語のなかで保証されたものではなく、二重にどこにでもない、ここにとどまらざるをえないかもしれないことだろう。