補足

思いつきで好き勝手書いてちょっと気になったのでニッコクダイ(日本国語大辞典)で調べると、またもや(というのもこの辺の言葉はニッコクダイではいつもそうなのだが、)明六社関連で西周(百学連環)でpatriotismの訳として。調べが行き届いていない可能性もあるがまあ。1870年のあとだから普仏戦争かなあ。といいうことは初発では意外と世俗的な含意があったかも。
愛国心が80年代。上がっている例文もこれはもろに普仏戦争
忠君愛国は90年代。福沢とか
愛で見るとloveの訳として使われるのは意外と90年代になってからのようだ。さすがにこの辺は調べが行き届いていてもよさそうなもんで、だとすると愛国の方が先なのだろうか。
大正期の道徳主義(これは耶蘇くさいととしていいのではないかと思うのだが・・・)とはまた別の文脈として考えた方がいいのかもしれない。
なんとなくこの辺の単語についてはあんまし調べがついていない印象があるから、本当のところはなんともいえないけれど、とりあえずふと不安になってのフォロー。

しかしどうせルナンあたりから来ているんだろうが、ルナンをもっぺんちゃんと読まないと確たることはいえないけれど、patriotismeをnationalismeに(おっと正確にはNationの理念にというべきか)引きつけて考えたいということにはおそらくひとつの政治的意図があるはずだ。というのもこの話はだいたいルソーからくるわけだから、古典古代の理想の復興という政治的含意をもっていて、何に対する復興かといえば、そりゃとうぜん人文主義的理想を掲げるということだから、E. Kantrowiczがmourir pour la patrie(祖国のために死ぬこと)やLes deux corps du roi(王の二つの身体)で書いたような、キリスト教と世俗国家との混合体への批判ということだったようにも思うからで(ちなみになぜキリスト教かというとこの祖国のための死というのは十字軍の時に使われたレトリックだからだ)、つまり政教分離へとつながる道だからだが、意外としかしルナンという人も(実証的ということになっているとはいえ)イエス伝を書いてしまう人でもあるので、もうちょっとよく考えないといけないような気もする。
こういう風に考えると愛国心を宗教と混ぜて使いたいというのはこりゃ明治の文脈からは外れる可能性は大ではあるように思うのだけれど。

ええ図式化すると
つまり、源愛国概念(明治:ここは要調査)−love概念導入-キリスト教インテリ界で大流行-大正教養主義京都学派第一世代ドイツ観念論と混ざる-第二世代大東亜共栄圏構想のために改変結果として先祖返り図らずもキリスト教道徳前面化-敗戦-保守派大正教養主義復古主義と錯覚-あっと驚くキリスト教道徳国策に
というストーリー。つまり朝日岩波文化(人)はなんと罪深いというお話なのですが
どうすかね? >識者のみなさん。
いや曽根綾子とかでしょう。気になっていたんですよ。

そっからするとね。
明治の精神(明六社・福沢)ー戦後岩波(丸山)というほうが、まあましではないのというお・は・な・し。