今日のトリヴィア

愛国 小野梓の場合
国民盍思之(1875.3)
廃藩置県にもかかわらず、国民のなかには「旧時の面目存し」「戊辰以前の形況を全ふ」する者がいる。つまりいまだ藩の意識が残存している。どうしてそのような事態が起こるのか。

「本邦人恋土の私情に蔽はれ愛国の公心を乱る是れ也」

恋土の情とは「其生長の地方を眷恋するの私情」であり、愛国の公心とは「全国の盛衰存亡を以て自ら悲喜し、全国と哀楽を共にする公明正大の心胆」である。そしてそれは「米人独立の際に在て特に表明せい如き忠国の義心」である。具体的に何を指しているのかはわからないが、独立に際しアメリカ諸邦が英王室に抗して連合したことを意味しているのだろう。なるほど当時にあってはアメリカのほうが欧州のそれよりも適切な手本に見えるということはありうる。
いずれにせよ自然発生的な「恋土の私情」を統御し、「公心」を育成せねばならない。

四方の人皆恋土の私情に厚し。此の情や之を戊辰以前に用ひて頗る貴重すべき者と雖も・・・之を今日に用ひば悪むべく深く絶つべき者・・・

この「恋土の私情を拡充し愛国の公心を奮起」させるのはひとえに国際情勢にたいする知識であって(敵国の外に環列するを知しむべし)、国際公法はあてにならないことの認識である。そうした現実を冷静に分析せねばならない。そうすれば旧弊を廃し、アメリカのような新たな政治秩序(立憲主義)の建設に至らねばならないことが理解できよう。

「必ず恋土の私情を変じて愛国の公心に還り、友悌の至情を感発し、因って隔絶抵触の弊風を洗ひ、不識不知共存の大道に順ふに至らん。余米国独立の事を以て之を証す。」

さもないと

「日本の独立是より無からん、日輪の旗章是より没せん」


ただ四年後の「唯有日本」というより扇動的な調子の講演で同趣旨の内容が繰り返され、同じ文章が引用されもするのだが藩意識という旧弊を批判する調子がいっそう強い。

畢竟は某々地方の某々の人種を私愛するの痴情に暗まされ、日本の国民あることを忘れたるもの模様也

たぶん外国語で考えているからだろうが、一貫して国家と国民の区別をしているのは誰かと比べて偉いが、愛国の単語は出てこない。愛は上に引用したむしろネガティヴな文脈。そのうえ「私」「情」がそれぞれ「公」「心」とに対立するということになるので、この「心」もいろいろ検討する必要があろう。

82年の勤王論ではその趣旨からも当然だが、王室と人民という図式で考えているため、愛国という概念は前面には出てこない。むしろ「我が敬重する王室と我が親愛する人民」「王室の尊栄と民人の幸福」といった統治の(側からの)心構えを解く流れになっている。上に述べたような主張はここでは「三百有余の諸侯にして皆な日本の幸福を重んじ其利己心の心を棄てたる・・」というような語彙。しかもそれを達成した廃藩置県は「天皇の威徳と人民の公論」によってである。そして諸侯はむしろ「数百年来封食の士地人民を捨て、少しも之に恋々するの情なく」それを実行したことによって賞賛されることになる。
要するにここで述べられているのは、封建制の解体と近代国家の建設であり、この文章の目的は「自称保守輩を屈服」させ、「政治の改進」を行わなねばならないというアピールである。そしてそのアピールは誰に向けられているのか。

唯一愛国という言葉が出てくるのは、やはり講演原稿であるのかもしれないこの文章のなかで、「諸君は余が親愛する愛国の名士にして人民遠永の幸福を願う人々」であるという呼びかけの章句においてである。

政体というコンテクストで考えるなら、こういう思考のパターンのほうが自然な筋、というかこの時代、政体論で考える方が自然なのだろうから、愛国というのは、いまのわれわれからするとやや特殊な、伝統的でもあれば欧風でもあるようなものであるように読める。つまり愛国が必要なのはいわば政治にたずさわる者であって、民という単語と自然と結びつくわけではないというような気もする。民主主義なので国民は皆市民でつまり政治家であるとするならば、国民と愛とを結びつけることも可能だろうが(それはそれで結構なことだが)、やはり素直に考えると政治家諸君は、私的利害を排し、地方の利害をひとたびは忘れ、いわんや自らの蓄財などに汲々とすることなく、もって公共の利害に専念しましょう、それが愛国です、ということになろうなあ。

人に説教するのは100年早いというか。

こうした文脈であればおそらく70年に書かれたとされる「救民論」にも愛という単語は見ることができる(「天之愛育生民、宇内同一、非有各土彼此之別也。」)。ちなみにここから一種の社会契約説による政府(統治)の成立が説かれており、救民としての政治(あるいは統治)という立場から、やはりまた合衆国を引き合いにだしての(どちらかというとクラシックな意味での)立憲政体の建議に至る。契約説を採る以上、ここで述べられているのは普遍的な理念の主張であるわけだが、この天にはいろんなものが混じっているのだろうか。

などなどとトリヴィア。書庫に入っていったらつい目にとまってしまった。別に暇でもないんだがな。まるっと五コマ目をつぶしてしまった。まあこっちの仕事にむりやり絡めると、アメリカ、というか連邦の成立過程がリファレンスになっていたことは大事かもしれん(当たり前のことなのかもしれんが)。