せねがーーる

サッカーの中田は孤高のひとで、かつては街でプチ中田みたいな若者を結構見かけたものだが、いまやもうそんな中途半端なやつには手の届かないところに行ってしまった。高みなのか、なんなんだかわからないけれど、とにかくおいそれと真似できない。当初はいかがなものか、って思ったけど、あそこまでゆけばたいしたもんだと思わないでもない。(趣味じゃないけど)
サッカー選手としてファンだから、いろいろレポートを見るけれど、そこから判断するに、きっともともとが自分の価値観をきちんと持ってる(あるいは、持とうとしてる)タイプだろうから、そういうタイプが日本の外にいれば、なるほどああいう感じ(前衛風)になるだろうな、という気もする。フランスにいる時は着ているものやなんかであれこれ(ネガティブなこと)言われることは皆無じゃないけど、ほとんどなかった。なにより同調圧力がものすごい低い、というか、ない。すくなくとも気がつかなかった。他人の目がどんどん気にならなくなる。まあブレーキ効かなくなったりするけど。そのせいか「流行」のようなものは日本ほどくっきりとは存在してない。まあ流行もあるけど、それが全面化することはない。
**
海外にいたのはほんの短い間だったけど、観光気分でデリダの授業に出たことがある。なんかやたらと日本人が多い、とか言う人がいたけれど、それほどでもなかった。たしかに海外にいると最初不安だから、街を歩いていてもふと東洋人を見ると目で追いかけてしまう。お互い東洋人が気になるもの同士、街で目が合うとプイッと逸らされたりして、ますます心細くなるけど、そのうち、自分もプイッと目をそらすようになる。けどまあそのうち、無意識のうちに東洋人を探さなくなるからそういうことも少なくなる。
それに住んでいた地域が東洋人(中国系+ヴェトナム系)、アラブ系、アフリカ系が数多く住んでいた地域だったので、最初は、わっ有色人種ばかりだって思ってたけど、ある日、俺もそうじゃん、って気がついて、そのうちむしろ大学近辺に行くと白人率が高いことが気になるようになった。デリダの授業も白人多いなあ、という感じだった。新聞も大学がたくさんあったりする、セーヌ川の左岸(南側)ではル・モンドとかリベラシオンとか、ときにはフィガロとか読んでるし。住んでた地域では読んでないか、クロスワードしてるか、新聞だともっと庶民的なやつ、(なんつったけパリなんとか)がほとんどだった。むしろそういう区別のほうがはっきりとあったなあ。
***
ワールドカップの頃は、楽しかった。フランスはすぐ負けちゃったけど、それでも、セネガルが勝ったらセネガル系大喜びしてたし、負けた日は夜中まで酔っぱらって「せねがーーる、せねがーーる」って叫んでる若い子がいて、近所からうるせえ、って怒鳴られてた。トルコ勝った時はトルコ系大はしゃぎだったし。日本とやって負けた日に、いつも行ってたトルコ系の人がやってる小さいレストラン(パリではギリシア風サンドイッチっていうんだけど、地方ではトルコ風っていうらしい)行って、なんかおごれって言ったらすげえ嬉しそうにビールをサービスしてくれた。
その前に日本がチュニジアとやったときは、近くの八百屋のおっちゃんがチュニジア系だったから、その日は、どっちが勝つかって結構盛り上がった。次の日におじさんにへへーって笑ったら、わらってたけどちょっと悔しそうだった。mayakovを好きですごい親切だった。
日本が勝った日に花屋に行ったら、花屋のヴェトナム系のおじさんが、日本人のチームがんばったなー、強いなー、ってすごい嬉しそうだった。
市場でセネガルの民族衣装売ってる兄ちゃんに、次はトルコに勝つからそしたら次はあんたらのチームだって言ったけど、それはならなかった。
韓国がイタリアに勝った日は、家の前の通りで車からコーラの瓶投げつけられた。俺は大丈夫だったけど、ベルヴィルのあたりで中国人の女子が頭に当たって怪我したって言ってた。
フランスの友人はイタリアが負けてすごい喜んでた。レフリーが韓国の反則とらなかったとか、イタリアの反則に厳しかったとかいろいろ問題になったみたいだけど、友人は、イタリアはああやって、たいしたことないのに、演技してすぐ倒れたり、隠れて足蹴ったり服引っ張ったりずるいんだ。だから、彼奴らが悪いに決まってるつって、ニコニコ満足そうに笑いながら、いい気味だとか言ってておかしかった。
テレビのニュ−スでは広場に集まって一喜一憂するイタリア人たちというのをおもしろおかしく流すのが定番で、こいつら真剣になって馬鹿だよな、って感じでアナウンサーがくすりと笑うのがお決まりだった。
日本と韓国の試合は日本人の友人の家で、友達の韓国人と見てた。日本の方が先にあって、結局引き分けたけど、日本が勝ちそうになったら、最初は日本を応援してたのに、途中から、日本のファールとかを審判がとらないと、あっあれは日本のファールだ!とか言って、微妙に態度変わってきたのがおかしかった。別の日に今度は韓国の試合の日に、韓国人の友人の家で見た。俺もじつは最初は韓国がんばれっていってたんだけど、じょじょに、こらあんましがんばるなっって感じになった。
韓国がイタリアに勝った瞬間、けっこうアナウンサー興奮してて、ヨーロッパでもない、南米でもない、アフリカでもない、新しいスタイルの、スタミナとスピードと組織の、アジアのスタイルのサッカーが、生まれました、とか言ってて、日本も含めて、常に動いているフィジカルの強さをすごく強調して、新しいスタイルだっておっきな声で叫びながら、なんか歴史の一場面に居合わせたって、けっこう感動してたのが印象的だった。
そして決勝は日本人とアルゼンチン人のカップルの家でブラジルを応援しながら見た。勝利の瞬間。あちこちで爆竹と車のホーンが鳴った。
ワールドカップの間中、いつも、どこかからかかすかに歓声が聞こえてきてた。
***
なんか話がずれちゃった。趣味の話のつもりだったけどまあいいや。でもまあ服の話に戻ると、バスとかで、ときどき(俺じゃなくてmayakovがなんだけど)あんたそれどこで見つけたのとか話しかけられてたから、まあ見てることは見てて、けっこういい時はそれはいい、あれはいいとか、(あれはイマイチだとか)そういう会話はしてた。べつにだからどうだってわけじゃないけど。ル・ペンみたいな奴に投票したりもするフランス人もいるから。だからフランスがいいとかどうか、って言っても無意味だけど(インテリ業界以外では人種差別もけっこうあるし)、ただ服とかに関しては
(服じゃなくても)、もうちょっと趣味みたいなものがあればいいなあとは思う。それはどこかでデモクラシーの可能性につながる問題だし、それにメジャーでなくても飯が食えるっていう範囲がもう少し広くなるんじゃないか、という風にも思う。絵とか版画とかで商売しようとすると結局メディアに露出して、とかそんな感じになって地方の公民館で講演するような中途半端な文化人になりがちになる。まあなってもいいけど、下んない仕掛けの大量生産品買ったり、不当に高いもの買うぐらいなら、その辺にあるいいもの(そのかぎりでは売り絵でいいと思うんだよな)を買うってひとがもっともっと増えれば、もっと住みやすい国になるんじゃないかなって思う。