しかし

幸いなことに、新型インフルエンザはヤマト川をなかなか越えない。じつはとっくに越えているのかもしれないけれど、できればこのまま越えないで欲しい。そんなことありえないけど。しかし関西の人の流動は南北よりも東西の方がやはり大きいのだということはよくわかった。このウィルスも、あるいは関空経由で入ってきたのかもしれないが、みごとに南部を飛び越えて、摂津の国中心に盛り上がってしまった。O157セアカゴケグモも順を追って北上していったのに・・・(ちなみにセアカゴケグモはもうこのあたりでは当たり前になっていて、保健所に連絡しても、殺虫剤でシューッとしといてくださいと、スズメバチほどにも相手にしてくれないようだ)。

よく大阪の人が、神戸の町を電車の線に沿って、南北に階層が分断されていると揶揄するのだが、これはじつは大阪も変わりはしない。しばらく南の方にいて、北の方にいくと、なんか町がぴかぴかしてると思って、びっくりしたことがあった。このあいだ東京で就職した学生が大阪に戻ってきて、町が小さいのと、公共の建物がぼろっちくなっているのにびっくりしましたと言っていたが、それでも南の方からすると、北は綺麗だな、ぴかぴかだなという感じがする。地元の人間である某サントくんによると、そりゃ和泉の国(と南河内)からすれば、北は摂津の国であれは天領ですから、ということになる。そういう意味では、大阪というのは人口がやはり一段多いせいもあるのだろうけれど、じつは一体感が神戸や京都以上に希薄な感じもする。

つまり摂津の国というのは神戸から大阪北部、そして京都(これは山城の国)まで、人の動きでも線路でつながっていて、むしろ、そこいらへんはたしかに一体感というか共通性がある。じじつ最初にmayakovと南大阪に住んだとき、mayakov友人たちは地の果てのようなところに行ってmayakovは大丈夫かという感じであった。つまり神戸から大阪北部(茨木とか高槻)とか、あるいは京都への移動は階層の移動をそれほど伴わないけれど、南北の移動はそれとは違い、実際の時間以上に心理的距離が遠い。どうも関西地元民の印象でも、許容範囲は河内の国までみたいで、和泉の国となると、想像の範囲を超えてしまうのか、そこに何があるの?ということになる。
何があるって、南海の二軍の練習場じゃねえか。あぶさんが練習してたんだよ!

たとえば線路でいうと、大阪の南の中心地である難波という駅がある。これは和泉の国(南海和歌山線)にも向かっているけれど、南河内(南海高野)、山城(近鉄)にも向かっていて、しかもこっちが主だから、同じ国内を走っている路線の駅という感じが強い(パリでいうとメトロの駅ですな)。それにたいして天王寺は、近鉄はまだ南河内に向いているからぎりぎりRERみたいなもので(そういう意味では河内というのは、まんまbanlieueだね)、外国という感じもしないけれど、JRは違う国に行く玄関口という感じがしてちょっと雰囲気が異なる。まあGare du Nordみたいなもんで、駅周辺もじっさい、いままでのところあんまり再開発もうまくいってない感じが強い。

あるひとが、パリは京都じゃなくて大阪に近いよ、と言っていたが、ほんとうにそうだね。中州もあるし。

いっぽうで、和泉の国の住民からすると、大阪(府)の問題は、これは南北問題というわけでもあって、その意味では、イタリアみたいなもんでもある。北部同盟結ばれて、これ以上南部への再分配はゆるさんとまあこういうわけでもあるわけです(何が?)。同僚やもなんかも、すごく無理をして京都に住むか(これが結構に多い)、茨木や高槻(教育水準が高いので有名)あるいは神戸や西宮に住むひとが多い。そういうひとがコミュノタリアン風のことを言ったりすると?となるのはまあ、ちょっと意地の悪い言い方になるけれど、なんかいろんなものを捨てないといけない感じがするのはこれはたしかに正直なところで、ぼくだってべつにたんに職住接近ということで深く考えずにこっちに来たら、消費性向が高いせいで(と日記には書いておこう)動くに動けなくなってしまった。べつに主義主張があるわけではない。国の格でも、むこうは大国ないしは上国なのに、和泉の国は下国とかに分類されているのをみると、長尾街道よりも南に住んでいるおれはブルーだ(うそ)。

しかし冗談はともかく、じっさいに人の動きがそうなっているからなのか、あるいはウィルスの広がり方というよりは、むしろ発見する側の文化水準なのか、マンパワーなのか、そういう力がやっぱ北の方が高いのか、よくはわからないけれど、ともかく今回のインフルエンザの広がり方はみごとにこの古い国に沿って広がっていて、ちょっと感心した。

まあしかし1歳に満たない子を半年ぐらいのあいだに四度も入院させた親の立場になってみれば、いっぺん引っかかったらどうしようもないウィルス関係は、できれば体力がつくまでは遠ざけておきたいから、リスクは低ければ低いほどいい。皮肉なことに、いまのところメキシコとは逆に、たぶん所得水準の高い方から広まってしまった。いずれ逆になるんだろうか。

最初の話に戻ると、人の流れで考えると、御堂筋線でこっちにおりてくる前に、新幹線に乗って東京のほうに行くほうが早くてもおかしくはない(おそらくは成田経由ですでに入ってはいるんだろうけど)。

つまりなんのかんのいって関西の芸人が、メディアの中心、つまり基本的には東京を目指しているように、大阪といっても、北摂地域(神戸〜高槻)は元来が天領だったということもあるのか、つねに政治の中心である東京とつながって仕事をしている(というかつながっていたい)。東京に出て行きたい人を育てるところでもあるし、(おなじことだけれど)東京で負けた人の敗者復活の場でもある。たとえば須賀敦子の全集で解説を書いている精神科医中井久夫北摂(神戸)→東京→北摂(神戸)というルート)というひとなんかは、意地悪なものだから、そのへんをあけすけに書いてしまっている(ちょっと大人げないとおもたよ)。そういえばmayakovママの卒論を一度見せてもらったら(某ミッション系)、おもいっきり東大系の学風なんだということが分かって感心した(引かれているものを見れば分かる)。
まあこのあたりは大阪の人が京都の人をそういって揶揄する以上に、彼の地の人も文化が高かったせいか、なかなかに複雑complexeかつ繊細な感じがしないでもない。これもその中井久夫によれば、だったろうか、その言語をはじめとしたかつての大阪の文化、船場の文化も、どうやらやはり政治の中心でもあった京都からもらった女性たちが作った文化でもあるようだし。現在はそれが東京になっている、ということなのだけれど(そういうわけで彼女は水が低きから高きに流れるように、東京経由でミラノに行ったのだとまあそういう書きっぷりだったよね)。
まあ彼女もミラノで違う立場から階層問題の当事者になったりして、結婚相手の郊外の実家に路面電車でトコトコ走る話はよかった。あんまり階層の話は強調されないけどねえ。育ちがいいとそういうふうにあっさり書いちゃうんだろうねえ。でもまあ外国に行くと気がつくよねえ。水村美苗の本って基本的にこの話だよねえ。そういう(社会学的な?)観点からは、お母さんの話のほうが面白いけどねえ。

高台にある家 (ハルキ文庫)

高台にある家 (ハルキ文庫)

鶴見俊輔がなんであんな変な話をしたのかもよく分かるエピソードが書かれているよねえ。

それにしてもミラノ帰りのやつらはちょっと気にくわないねえ。さっさと返したいんではやくミラノのほうで引き取ってはもらえまいかねえ。選挙でもめてないでさ。

ところで講義が行われていない郊外のキャンパスは、耐久年数を超えた殺風景な建物が人もまばらななか、五月のうららかな日を浴びて、寒々しくなにか非常に心地がよい。これはたぶん廃墟の喜びに近いものがある。