ジェンダー・フリー?

気分転換にネットをうろうろしてたら騎馬戦が問題になってるらしい。おお懐かしい!
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そうだトラックバックというのをしておこう。
http://d.hatena.ne.jp/rna/20040827#p2
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男女混合騎馬戦、小学校のときに何回もやった。低学年はあれ危ないから(漁師町の騎馬戦は走って後ろから体当たりOKなので)たぶん高学年になっていたはずだ。ひとつの騎馬に男子女子が混ざってやったかどうかは忘れた。覚えているのは男子は男子、女子は女子で騎馬をくんでやったバトルロイヤル。女子最強チームが男子最強チームを潰して、男子で最後に残ったのはぼくのチームだけとなって男子女子のメンツをかけた一対一の争いになった。男子は全員ぼくらを応援していた。体格では負けていたので、ヒットアンドアウェイで対抗。体当たりをかまされ、騎馬が崩れたのだが、やせていて騎馬の上に乗っていたぼくが横倒しで落ちながら、手を伸ばして女子チームの騎手の帽子を奪い取った。で、判定はぎりぎり僕らの勝利。勝負で負けて、試合に勝ったような感じ。女子チームは非常に悔しそうだった。地面に叩きつけられて痛かったが、クラスの男子全員に祝福されて大満足だったのを覚えている。体育の時間にやったので、そのあと何回もやった。なんか手抜きの授業だな。いま思うと。女子が最後に残って勝利チームになるケースもあった。

まあしかし乱暴だったなあ。運動会では組体操で毎年かならず骨折者が出ていた。運動会といえば場所取りが激しくて、いちど親同士というか親戚同士で大乱闘になったので、翌年から地区別の割当制になった。酒も禁止になった。って、そういや酒も飲んでたのか。さすがに死人はでなかったが。

ただ血が濃いのかなんなのか、病気で死ぬ子は多かった。事故で死ぬ子も多かった。年に必ずひとりは死んでいた。まあ死ぬというのはたしかに田舎を出た後よりも、田舎にいる時のほうが、身近にあった。が、これは別の話。

6月ぐらいから体育の授業は全部水泳で、しかも普通の授業を潰して体育になっていた。一日一回はかならず体育(水泳)があった。二回ある日もあった。そのうえ授業が終わってから川に泳ぎに行った。馬鹿だなあ。

いや一日中水泳(つまり体育)という日もあったぞ。教師は交代で監視に来ていたが・・・・手を抜いてたな。

水泳のシーズンになると、着替えはたしか男女混ぜこぜだったような。数人の男子がふりちんになって、教室の前のほうで、チンポを振り回して踊っていたのを覚えている。女子も笑ってみていた。タカオカチカヒロくんが踊っていたのを覚えているが、ハンサムで女子の人気ナンバーワンだった。チカヒロくんは中学のときモヒカンにしていたなあ(すぐに切られたが)。性格もいいやつで、喧嘩が一番強いわけじゃなかったけど、男気があるというのだろうか、男子にも信頼されていた。中学をでたあと、しばらくして結婚したはずだ。長距離トラックの運転手をしていると言っていたが、いまでもしているだろうか。
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女子は気が荒い子も多くて、中学校で男子にからかわれたのに腹をたてた、同級生(おなじ体操部の子だった)が、グーで殴り掛かって泣かしてしまったこともあった。さすがに中学校になって女子と男子が喧嘩して泣かすというのは珍しくなっていたのでしばらく話題になった。小学校ではわりとあったが。
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いま考えるとむちゃくちゃだが、教員免許もってないのに続けて担任とかしているケースもあった。そのひとは生徒にも親にもすかれていたんだが、何回やっても教員採用試験落ちて、今年も落ちました、もう来年は担任できませんとか言って親も教師も生徒も涙で学年末にお別れしたりしていた。あれなんだったんだろう。
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中学の時の担任は京都の女子大でた新卒者だったが、虎の刺繍がはいった黒のラメの服来てきて(むなぐりを大きくとったノースリーブ。たしかシースルーだったような)、男子はチチがみえたとか見えないとか言って喜んでた。たしかにおれもチチを見た。しかしあれはなんだったんだ。
中学二年の時の国語教師と話をしていたとき、先生は最近読んだ本で、何が面白かったって聞いたら、おれ本読むの嫌いなんや、と返事したのでさすがにあきれた。そういや伊勢にある某大学を出てたけど、大学時代の思いで聞いたら、ミニバイク盗んで二人乗りで乗り回してたら警察に追いかけられて大変だった話をしてくれた。
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校内暴力で荒れていて、先生たちはみな頭を低くして生活していた。三階の教室からは机や椅子が降ってくるので窓際は歩いてはいけないと注意された。狙ってたからなあ。生徒が職員室を襲撃して、教師が警察に助けをもとめたので、警官隊が近隣の応援も含めて50人ぐらい導入されたときは、すごかった。授業の鐘がなっても誰も来ないので変だと思っていたら、校内放送で、いますぐに帰れ、帰らないと何がおこっても保証しないと、無茶なこといわれて、でもまあラッキーとか言って家に帰って夜テレビを見ていたらニュースになっていて事情がわかってびっくりした。
学校に警官隊導入ははじめてということで、翌日からおおくのメディアが取材に来た。テレビの取材で、ヤンキーの学生がインタビューとかされていたけど、字幕がついていたのはショックだった。まあ確かに団体でスキー旅行したとき、ホテルのロビーで、どこの国からのお客様ですか、と聞かれたので中国と言ったら、そのまま信じられたと父親が笑いながら話していた。
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ある日、授業を受けていたら、男性教師が血相を変えて廊下を走ってゆき、その後から、なんか得物をもった上級生が「殺したるー」と言いながら追っかけてゆき、さらに女の子が「やめてー」と泣きながら叫んでその後を追いかけてゆくというような中学時代。誰もタバコはトイレでは吸っていなかった。教師が歩いている廊下で、みんな普通に吸っていた。
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まあそれでも一番ひどいときよりは、ましになっていたらしい。
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警官隊が入ったあとは、何人も少年院に送られ、さすがに落ち着いた。ある日、別のクラスの生徒が校舎の三階の窓からバケツに入った水をかけられるということがあったのだが、それを見たとき、昔は机や椅子だったのに、いまはバケツの水か、平和になったなあ、と思った。
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そういう場所では理屈は(理屈だけでは)まったく意味をなさない。ほかになんかプラスαがないと駄目だった。大学に入った時、理屈は理屈として尊重されるので、なんと楽なんだ、と天国のようだった。
けどなぜかあの秩序が崩壊した奇妙に自由な空間がときどきむしょうに懐かしくなるときがある。
あれは何だったんだろう。