年度末

はいろいろと忙しい。師走というのは、いまやむしろこの時期である。が、忙しいといったって、なんというか強度も密度も低いのだが(論文書いたり授業の準備するのに比べれば、だが)、ぼやぼやしているうちに細切れな時間が過ぎてゆく。つまり全力疾走しているわけではなく、時々立ち止まっていいので、あらそう、座って本でも読もうかと思うと、ゆっくり走れ、といわれて、へえへえ、走らせていただきますといいながら高校の体育の時間のようなだらだら走りをさせられる。それが繰り返される。

数ヶ月前に学内便で反故紙の裏側に印刷された一覧表が届いていた。このリストからいらないものは削り、必要なものを付け加えろと指令があったので、一瞥ののち必要にして十分でございますと最近信じ始めた神様に言ってポイとゴミ箱に捨てたら、なぜかそれは原本でアレがないと困ると怒られたので、謝ったりしながら日々是好日(いつも喧嘩しているわけではありません)。

どうも良くない神様だったようだ。

しかしそんなのんびりした仕事も今年かぎりで、来年はまたやっかいなボランティアが回ってくることが事実上決定。やはりそうなったか。あーあ。労働法とか勉強したくないなあ。本校の方ではいろいろ揉めてるようだし、もうしばらく死んだふり。成果主義ってみんな入れたがるなあ。内側で沢山会議を開いて、そんな努力するくらいなら、外に打って出て自分で使える金をバンバン金取ってきたらいいと思うんだが。この問題はなぜかみなさん利他行為を優先。水道の蛇口を元から閉めてしまえばそうせざるを得ないのだから、あれこれ考えるよりそれが一番簡単だと思うのに、なぜかそういう簡単な解決はやりたがらない。余録にあずかっているから文句はないが、不思議だ。改革派が内気なのは定義からしてそうなのだが。

他人を支配したい、人の運命に口を出したい、という欲望を消すことはむずかしいということなのだろう。ユートピアの欲望。自戒、自戒。それはこりたはずだ。距離をとれ。距離を。もうそんなものにかかわっている時間はないぞ。

近頃SOPは流し目がお気に入りだ。ある日とつぜんやり始めた。ご飯を食べていると、SOPがアーアーとうるさくするので、ふと横を見ると、やや首を傾けて、上目遣い気味に横目で睨んでいる。あまりにかわいいので、思わずプッと笑うと、目が回るのではないかと思うぐらい何度でも繰り返す。