パリ郊外

 今日は、パリ郊外の新しい住居都市を見に行く予定だったので、西村さんと出かける。同氏は画家で、パリにながく住んでおられるので、通訳をお願いしたのである。郊外電車に乗るとすぐ田舎へ出る。白いリンゴの花が満開で美しい。ロバンソンの駅から小さいバスに揺られていくと、ひなびた民家の屋根には赤い瓦がふかれ、その古びた様子がミレーの絵を感じさせる。
 静かな村を通りぬけると、石で築いた堀の向こう側から牛のなき声が聞こえる。そんなルナールの文章に書かれているような田園風景を通り過ぎていくと、眼前にモダンなアパート建築の大集団が現れてきたので驚く。新しいマラブリーの住居都市である。
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 ・・・ここの住居都市では家賃が低廉であることに感心した。もっとも都心から遠く離れ、交通も不便であるが、それにしても東京では下宿屋の一間の部屋代がそれよりも高価であるのに驚いた。セーヌ県の県営で、希望者は願書を出し、身元調査の上で許可されるのだということである。
 そのうえ、ここの住居都市では公共施設が完備している。広い敷地の中心には池が作られ、そのまわりが小公園になっている。散歩道路には花屋、雑貨屋、マーケット、パン屋などが美しい飾り窓を並べ、主婦と子供たちが楽しそうに歩いている。そのほかテニス・コートやトラックなどの運動場施設も、近く完成する予定だといういうことである。
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 マラブリーから次にロバンソンの住居都市まで歩いてゆく。途中の野原が美しい。若草が一面に萌えたち、そよ風が吹く。上衣を手に持ち、明るい気持ちで歩いていくと、向こうから体格よい牛を十頭ばかり牧童が追いながらやってくるのに出会う。空に銀色の胴体を光らせながら、一台の飛行機が飛んでいく。
 間もなく、野の彼方に、今、見てきたマラブリーよりももっと規模の大きい住居都市が城塞のように見えだした。
 だが、そのロバンソンの住居都市に近づくと、建築の質がだいぶ落ち、壁面も塗装も粗雑である。だが六階建てのこのアパート建築が数十棟、整然と並んでいる。その一棟の最上階に窓の大きいアトリエが並んでいるのは、フランスでは画家の居住人が多いので、こんな画家専用の部屋も必要なのであろう。それを珍しく思い、わたしは早速カメラで撮影した。
 すると横町から制服を着けたふたりの男が現れ、わたしたちを誰何し、連行を求めた。憲兵である。・・・
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 ドランシーの駅で降りると、付近は工場地帯らしく、家も町も煤けている。駅前には、黒い鳥打ち帽をかぶり、首までのセーターを着て、いかにもフランスの労働者らしい服装をした人びとが群がっている。しかし、その様子にも町の印象にもなんだか活気がない。
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 十六階もある高い棟のようなアパートが五つも、夕日を受け、澄んだ空に聳えている。その光景はすばらしい。しかし、近づくと驚いた。窓ガラスが一面に割られ、ひどく荒れ果てている。内部を覗くと壁がしみだらけとなり、こわれた家具などが散乱している。無論、人は住んでいない。無住の廃墟である。
 三年ほど前だった。パリで世界建築家会議が開かれた時、ここのアパートがフランスのもっとも新しい代表的建築として紹介され、多くの見学者を集めたことが専門雑誌に報告されていたのに、それがこんなにひどいあばらやになっている。その早い変わり方にまったく驚いた。何か建築技術か設計にミスがあったのだろうか。あるいは住居政策の失敗か。モダンな意匠が民衆の好みに反したのか。

『せせらぎ日記』谷口吉郎より抜粋
谷口吉郎は建築家。伊東忠太の弟子。1938年からドイツ留学、この文章に書かれたパリ旅行はおそらく1939年の1月の出来事。このあとヨーロッパ情勢の悪化により9月、日本郵船靖国丸で急遽帰国。帰国後は東京工大教授。藤村記念堂、東宮御所、帝国劇場、東京国立博物館棟洋館、迎賓館和風別館など。

福祉国家においては、低所得者向け(当時としては労働者向け)低廉住宅は社会福祉の範疇である。現在でもヨーロッパはそうしたニュアンスが強い。現在のアメリカであればいわゆるサブプライム・ローンの対象となる人びとである。サブプライムローンとはいわゆる持ち家政策の拡大であろうし、その意味では、これも一種の市場化と考えることは可能である(ただしかつてのそれとは異なり、そこには雇用の安定と所得の上昇、少なくとも前者は伴われていなかったようだ)。
もっとも土地の上昇を見込んでの借り換えなどの技術を駆使したりして、返済させていたようだけれど、そういう資産運用の知識のようなもので、賃労働(の対価)の不足を補うということであったのか。こういうのは、よりダイレクトに欲望というか利害の感覚にからむものではあるが、それゆえに、なにが穏当な手段であるかが判断できる成人を教育で育成するのは、たいへんに困難であろうなと、ぼくなどは思う。社会の安定というようなことを考えると。ときどきはこうやって危機になるけれど、これは資本主義のリスクだというある意味でマルクス的な世界を肯定するほうが、まだしも筋が通っているような気がするな。

ローンの場合、所得が増えてゆかないとかなりしんどかろう。だからこそそれは賃金労働者の増大に対応するかたちで広まりを見せたのであるし。むろん、都心部であれば地価の上昇分があるから、そのことを考慮に入れれば、単純に賃貸のほうが有利だという結論にはならないが、しかし郊外の場合はそのあたりたいへんに微妙である。
日本はどうするんでしょう。いや、どうなるんでしょう。世帯ががっちり減ってゆくと自治体毎の都市政策は大変に大きな問題になるように思うのだが。

こじんまりとした間取りで、大きなガラス窓がついた居間の外側にはテラスが設けられ居間の奥は寝室と子供室となる。台所、浴室、便所、その他小さい物置までついている。広さは二十三坪程度。暖房は角間にストーブが取りつけてあるが、家賃は一カ年に2200フランという事だった。ちなみに換算すると一ヶ月18円ちょっとになるので、その低廉に驚く。家具は住居人持ちだから、まだ室内はがらんとしていたが、この内部に椅子やテーブルが置かれ、窓にカーテンがかかり、壁にピカソの複製でもかかったら、日本では高級アパートになるだろうと想像する。

 という文章もある。が、谷口の文章はこの郊外が建設と同時にすでに現在の姿を露わにし始めていることを報告してくれている。