亀のような

yeuxqui2007-04-19

速度で大道珠貴を読み進める。昨日読んだところは、女性同士の会話の部分だったのだが、『しょっぱいドライブ』に似ている感じはしても、あまり中上に似ている感じはせず。あれ?と思っていると今日読んだのは、憎からず思っていた従兄弟との微妙な会話の部分。今度は少し中上の文体に似ているなあと思う。あるいは文体というよりも、シチュエーションに読後感が左右されているのだろうか。しかし非常にうまい。部分的には、あまり好きになれない表現もあったりするのだが、微妙な感じの関係の微妙な心の揺れがうまくて書けていて、うへえと思う。駅に着いたので本を閉じて鞄にしまい、慌てて電車を降りる。エスカレーターに乗っているときに、ふと、天神茄子さんが読んだら、どういう感想を持つだろうと思う。駅の階段を上がったところで、傘を忘れたのに気がついた。

家に変えるとSOPが慌てて飛び出してきて、ぱぱ、いーす、と興奮して、届いたふたつの段ボール箱を指さす。日曜に買った小さな机と椅子が届いたのだ。開けて欲しそうにわあわあいうのだが、なんとか誤魔化す。残念だけれど組み立てるのはSOPが寝てからだ。さあいっしょに風呂に入ろう。

おしっこの練習に始めたのが癖になってしまったせいで、いつもSOPは風呂場でおしっこをする。今日はしかしSOPももう大きくなったから、トイレでしてみようとmayakovとふたりで説得する。田舎の言葉で、オソロシガミ、というのだが、SOPは新しいことになかなか挑戦しない。今日も最初は、渋ってなかなかうんと言わなかったのだが、なだめたりすかしたり盛り上げたりしたら、ふと気が向いたか、じゃあトイレでやってもいいかなという雰囲気を見せたので、ここぞとばかりに踏み台の上に載せる。じぶんでおむつもおろしてみたら、とmayakovが言うのだけれど、なかなかおむつをおろそうとしないので、まあおむつぐらいはおろしてやるか、と思って、勢いよくズリット脱がせると、ああ、うんちをしていた。間の悪いことに柔らかめのうんち。ズボンと手にべったりとくっつく。たぶん、机と椅子が届いたのをぼくに訴えている前後にひったのだろう。興奮して、うんちを言うのを忘れてしまったに違いない。こう手にべったりとうんちをつけながら、トイレット・ペーパーで処理をするのは久しぶりで、なにかとても情けない感じがしてしょんぼりしてしまう。怒られなかったのが、かえってSOPにもショックだったようで、風呂のなかでも風呂の外でも、顔色をうかがいながら妙にぼくに迎合的に振る舞う。ちょっと作為的に朗らかに笑ったりして、何か知らないうちに高度な心の動きをするようになった。

SOPが寝入った後、届いた机と椅子を組み立てて、部屋の隅の変なところに柱があるものだからうまく使えなかった一角にその机と椅子を置く。少し前に「海鳴り」という編集工房ノアのPR紙に載っていた天野忠の短編を思い出した。たまたま隣の家が改築したさいに、その大工さんがあまりに実直でよい仕事をするものだから、奥さんがその仕事ぶりに惚れ込み、借家なので大家さんに交渉までして、2畳半の小さな書斎を造ってくれるよう計らってくれたのだ。それがよほど嬉しかったらしく、「だから私は近ごろいそいそしている」と書く天野忠はとても幸福そうで、さあこれから頑張って多少は金になる文章を書くぞという意気込みを語るのだ。短いけれどなんともほほえましい文章だった。
いや、そしてぼくも、我ながらへえと思うほど嬉しい。嬉しくて、意味もなくいそいそと日記を書いてしまったりする。いやそんなことをしている場合ではないのだが。

そういえばむかしやはり古くなった家を改装したときに、使われずにいた階段のうえの何もない空間に床板を通して、細長い押し入れのような部屋を作った。昔の階段の幅だから広いとは言え、たかがしているわけで、せいぜい物置といった感じの空間だったのだが、本棚などを置いて、余った小さな場所に、父親が自分で作った座卓を置いて小さな書斎を造った。そういえばなんだか嬉しそうで、子供だったぼくはこんなに狭いのに変なの、と思っていた。たぶん本当はそんなに頻繁でもなかったとは思うのだが、子供の感覚では半年か一年ごとに模様替えをしては喜んでいたような印象がある。

とりあえず、いまはよい機嫌で、いそいそとしておくことにしよう。