mayakov

が、団地の会議から戻ってきた。立て替えを検討しているみたいだが、自治会長が業界のひとみたいで、やたら前向きで具体的な案を出してきたみたいだ。みんなうっとりと洗脳されてたらしい。賃貸で借りて住んでいるから、政治的には関係ないのだが、引っ越しを迫られることになるから、生活が大きく変わることになる。
この団地がまともな建築史関係の本を読んでいると必ず出てくるのは、日本で最初に作られた団地だからだ。ガワも塗り直しているし、同じ棟のどの部屋もひとつとして同じ間取りになっていないから、各個の入り口の横にある宅配の牛乳瓶入れから、かろうじてこの建物の本当の古さがわかる。
馬鹿みたいに読んだから何の本だったか忘れたけれど、間取りや内装も、住人がどんどん変えてゆけばいいと、当時の関係者が語っていたのをどこかで見た記憶がある。じっさい住人はそうやってここまでやってきた。それが可能だったのは、そのような想定の設計になっていたからだろうか。
とうぜんそういう時期に建てられたからには駅にも劇的に近く、マンションが売れ始めたいまとなっては建築業界垂涎の的の立地なわけであり、事実、周囲からはいまや工事の音が絶えない。
mayakovがうちは借りて住んでるので、もし立て替えとなったらいつ出て行かないといけませんかと聞いたら、あらあなたも買って住めばいいのにと、言われたみたいだけれど、配られた新しい案をみると、とても住もうという気になれない。
50年代の終わりに設計されたこの団地は、狭い階段にエレベーターはついていないけれども、低層で南向き、それだけでも日当たりがいいのに、さらに日照時間を確保するために建物のあいだがゆったりと取られているから、汚い空気の南大阪なのに、そこだけ静かで落ち着いた雰囲気が漂っている。事実、団地内の公園は小さいなりにゆったりとしていて、少し遠くからも子連れでお母さんたちがやってくる。けれど新しい案をみるかぎりでは、近所に立ち始めているような、(たぶん内部は)それなりにゆったりとした間取りの、高層でかつ建坪率をぎりぎりまの、みっちり詰まった醜い建物になるのだろう。ならばそれは結局は南大阪の産業道路に囲まれた集合住宅に過ぎず、残念ながら何の魅力も感じることはできない。
ぼくは団地に住んだことがなかったら、はじめは少し抵抗があったのだけれど、住んでみたら、なるほどいろいろな部分を気にして作ってあることがわかり、そうであるからこそ、ここまで手直ししながら、なんとかやってこれたのであろうし、2年3年と住むうちに、地下鉄の北と南に作られたこの団地が象徴した、60年代に田舎から出てきた新婚家庭の憧れのまとであった新しい生活がどのようなものであったか、実感として納得できたのだった。
どうせしかしぼくらに終の棲家はないのだから、いつかはくる終わりなのだけど、そろそろ本気で引っ越し費用を貯めておかなければならないことになった。
まああの時代の建築関係者は、すでに高度成長は始まっていたとはいえ、まだ戦前を引きずった貧しさの中でいい仕事をしたと思う。

しかしなによりも惜しいのは、建物と建物とのあいだの、長い年月のあいだに植物が適度に生い茂った空間がなくなってしまうことだ。(それがあるから狭い公園もそれなりにゆったりとした印象を与えてくれる。)おそらく現在のようなゆるい規制では、そうした空間を残しておくような甘い設計にはならないだろう。