採点

は続く。前期は飛び抜けて厳しい評価だったらしいので、手をゆるめる。論理的に文章を書くのはむずかしいのだが、日常言語としてつじつまが合っていないと、採点は楽でいいのだが、うーん。いわゆる教養担当なのだが、もう学問ジャンルの名前のついたような講義はやらなくていいのかもしれない。1年のうちは、文章の読み方と書き方、つまり国語だなあ、これをやった方がよいのかもしれない。というかしかし一応タテマエでは英語を使ったが、ゼミでやっているのが読み方と書き方だったりするなあ。あれえ、矛盾してるなあ。

しかしゼミでやってることは限りなく「シノタマワク」だなあ。読み書き算盤だなあ。講義ってなぜ発生したか考えるとやばいよなあ。

しかし経験的にいうと、悪いけど講義で聞きかじったようなことはだいたい無意味というか、使えない知識であるような気がするのだが、これはしかし経験に基づいてはいけない類のことだな。きっかけにはなることは認めるが、じゃあきっかけにならなかったらどうする?

どうしようか当初の予定通り半分ぐらい落としてしまおうか・・・。しかし自分の怠惰な学生生活を思い出すと、般教でなあ、あんまり過酷な要求するのもなあ。四年間で何とかなればいいわけだし。馬鹿みたいに沢山の授業に週一回づつ平行して出てるわけだし。

いやつまり結局自分で勉強していただくしかないわけで、そうやって苦心して手に入れたものでないと使えないというか有用でないというか。有用性とかいうとですよ。だいたいちょっと頭の足りない詐欺師に進化論は駄目だとかいわれて、何もまともに読まずに、そうかそうか、進化論って怪しいよね、ってなるわけだし。必死で教科書読んでそう思うならまだいいのだけれど・・・。左翼に騙されようが、右翼に騙されようが、同じだとおもうんだよな、そのかぎりでは。

だから、つべこべ言わずに体動かしてるやつの方が好きなんだろうが、まあそれは偏見かもしれない。別に運動でなくもいいのだけれど。

授業は非常によく分からなかったようだから、あるいはそれでいいのか。よくないのか。

採点をすると内省してしまうなあ。