はじまって

しまうとさすがにガクッと翻訳のスピードは落ちる。体が慣れるまでは仕方ないな。

最終学年だけの授業がいくつか。こういう奇妙な状況は以前にも経験した。勤め始めたころすぐ、大学はカイソと称する組織変更を行った。学芸学部だけの一学部から文理二学部の体制に変わったのだが、このとき訳あって学芸学部に属する古い学生だけを教えることになった。助手だったから書類に名前が残るかたちで授業ができなかったのだ。
改組一年目は対象学年は、2,3,4回生。二年目は3,4回生。最後は4回生だけを対象に授業を開いた。教養科目を取り残した学生にむけて講義をするわけだから、最後はたしか二人か三人で、もちろん名前は講義とついているものの、講義もくそもなくて、結局はゼミのようなものだった。
ちなみに暇かと言えばそうでもなくて、いまより忙しかったような気がする。いろいろと助手がやらないような仕事をやったというか、やらせてもらったというか。いろいろ政争に近いようなこともあって、次の年にみずから辞めてしまったエライひとから電話がかかってきて、手を貸してくれとか言われたときは、助手は助手ですが、まだ助手なんで、そっちは勘弁してくださいと答えたものだ。

たいした修羅場でもなかったがひととなりはそれなりに見させてもらったつもりでいたが、いまから思うとやはりいろいろなことが見えていなかったし、人間というのも分かっているようで、分かっていなかった。あと五年ぐらい経って、いまを振り返るとまた同じようなことを思うのだろうか。ツマンナイやつはわりと分かるようになったような気もするものの、これもまあ当てにはならない。多少は腹は据わってきたような気もするものの、これとて平和ボケで鈍くなっているだけかもしれない。
ただ時間だけが過ぎて、置かれている状況だけが変わり、見えている風景の変化が成長を錯覚させ、じつは何も成長していないということなのかもしれない。

それはそうと、じょじょに少なくなってゆき、最後は同級生だけが残る教室というのもまた物寂しいような親密なような変な感じではあった。窓の外には1〜3回生はいるのだが、互いに別の集団に所属していることが、その部屋にいるとはっきりと分かってしまうからだ。

しかし、こういう経験はもうないだろうと思っていたが、またやるとは思わなかった。

そういうわけで最後のセメスターは
ひとつはM. Foucault, Il faut defendre la societe.の英訳に決定。

Society Must Be Defended: Lectures at the College De France, 1975-76

Society Must Be Defended: Lectures at the College De France, 1975-76


もうひとつ旧大学オンリーでひらいた科目があって、こっちは社会問題というか社会保障のありかたがヨーロッパ(とくにフランス)で中世から現在までどのように移り変わってきたかについて。どうしても数が少ないから、これもゼミみたいなものだ(まあ訳文をチェックしてもらうのだからdebugでもある)。

こっちも忙しいが学生も卒論を書きながらだから、どこまでやれるかどうか。