つづき

小さい政府というスローガンにはもう拘らない方がよいように思うというは、こっちのバイアスだろうか(実質的にそれを目指すにせよ)。要するに労組とくっついたことにはデメリットしかなかったと考えているのだろうか。まあゆっくり見てみないとわからんが。しかしそうだとすると気持ちは分かるが自民党があのような方針を採った以上、手遅れではないか。よほどほかの政策ではっきりと色分けをしないと景気が好転すればまだしも、今のような曖昧な不況下では、やはり政権交代よりは政権内の方向転換が選ばれつづけるのではないか。

なんというかキャラがかぶるのが気になる。かぶって上をいければよいわけだが、昨日書いたようにそれは難しいようにおもう。いずれにせよお馬鹿な政治評論家とかジャーナリストと一緒に制度をいじってあれこれ目先を変えるという方針で行くのなら、小泉がやったように自民党内部で梯子を一歩一歩登っていって権力の手の届くところでチャンスを待ちかまえるという路線をとるべきだったのではないか。(もう椅子は埋まっており、手遅れだが。)
しかし権力が欲しいのであれば思想内容のような青臭いものに拘泥するのはまったく間違いであって、なにせ黒いねずみも白いと言い含めることなど、権力を握れば簡単なのであるから。

(逆にこちとら青臭いから学者をやっている。たしかに青臭くない学者というのはどんなに賢くても決定的に突き抜けられない限界をもっている。学者の自称リアリストがそろいもそろって間抜けな顔をしているのは理由があるのだ。もちろん同じ理由でジャーナリストも。)。まあ政治で自己実現などやってはいけないわけで、さすがに何回も選挙をくぐり抜けているのだからそれくらいのタマだとは思いたいが(せめて悪党であってほしいというささやかな望み。でも善人ぽい気も・・・)。

最後グリーンでパットが入るかどうかは半分ぐらい運だとは思うが、そこに乗せるまではロジカルなプロセスをたどっていったほうが確率は高かろう。せめて半々ぐらいの勢力ならまだしも、かなり迂遠な作業を前提しないといけないわけであるのだから。

ミッテランというのはようするにド・ゴールを超えるにはそうするしかない、というだけの理由で社会党を選んだようなやつなわけだが、なかなかミッテランみたいな悪党はおらんということだな。(まあこの国でそういう悪党がいるとまずいかもしれん。)

しかしミッテランをはじめとしたフランスの政治家の行動は、死して歴史に名を残すという欲望にドライブされている部分もあって、だからどいつもこいつも必死で(なるべく不滅っぽい)文化施設にモニュメントの代わりとして自分の名を付けようとするのだろう(ドゴールは空港、ポンピドーは美術館、ミッテランは欲張りだから図書館と凱旋門ルーブルだがまあ名前は図書館、ジスカール=デスタンはEUそのものだろうか)。おそらくそれはどこかで自分が死んだあとの永遠というものを信じているから、そうするわけで、それはなかなかこの国の風土というか文化からは生まれないものかもしれない。その程度には超越的なものをもってこないと、それなりに徹底したリアリズムというのは生まれないのかもしれないな。

逆に、冷酷な政治家が、芸術や文学などに青臭い趣味を露呈させるのは、精神のバランスを取っているのだろうな。もう少しましな趣味を持って前面に出しておいた方が、精神衛生にはよいだろう。山本なんとかみたいに、どんなにブレーンにきれいなおべべ着せてもらっても、政治オタクにしか見えないのはいかにもまずい。(そういう点でもアベのああいう押し出しもいかにもまずい。)

そういやサンジェルマン=デプレはサルトルボーボワール広場だったりするなあ。自ら求めたわけではないにせよ。

ああそうか、その機能は代々天皇に取られちゃってるから、だめなんだな。

それとあるサイトを見て驚愕。
先生、それは独り相撲にしか見えません。友人はおられないのでしょうか。
うむ、もって他山の・・・