ちび太

はじめての風邪を引くの巻き。木曜に龍谷大学脇田滋(キー・ワードになってる!)さんを講師にむかえて、組合の学習会を開いて、労働者になるということはどういうことなのかを語ってもらう。職員の方の参加もあって、なかなか有意義な会だった。その後、脇田さんを囲んで食事をして家に帰ったら、mayakovがあわわわ、と言う感じでちび太が風邪を引いたと報告。喉がかすれて、ひーしー言ってる。
わりと元気だったのだが、夜、よく寝ていたからやっぱり少し熱があったのかもしれない。

金曜は

流浪の身である鴨王子とヴァレ王女が来る。まだ少し喉が腫れているので声がおかしいちび太の相手をしてもらう。鴨王子は、母乳の味をやたらと聞きたがる。一緒に酒を飲むと、その度に聞く。今度も聞いた。王女がこれは王子のファンタスムだと暴露する一幕もあった。ちび太の風邪がまだなおっていなかったので、夕飯をご一緒することはできなかった。

間違って

自主制作映画(「渇いた花」)を録画してしまったのだが、ストーリーは、一度寝ると、ちょっとやそっとでは目が覚めない伝説の女番長(長澤みはる:番長なのにコムデのような高そげなGジャンを着ているのはちょっと設定がおかしい)が、タイマンで負けたので、自分に活を入れるためにトイレで上半身裸になって乾布摩擦する(ここが見どころ。わりと胸は大きい)のだが、やっぱり気が滅入るので、商店街や駅をうろついたあとに、次また勝てばいいことに気がつく(ポジティブ・シンキング)。それで景気づけにえいやと助走をつけて、柵を乗り越えて海に飛び込む(パンチラあり。自主制作映画風隠しきれないエロがテーマ)という話だった。

あまり見どころはなかったが、ストーリーはこのように独創的だった。監督は永瀬正敏という人だった。嫁さんはmayakovによるとキョンキョンらしいのだが、こういういかにも自主制作映画に出そうな女の子が好きなのだったら、なぜキョンキョンと結婚したのか分からない、という謎をあとに残すところなどはおもしろかった。(追記:キョンキョンと監督氏は離婚したらしい。mayakovはキョンキョンが嫌いなのだが、王様があまりに誉めるので、映画を見たあと、離婚したということはキョンキョンは最低限人を見る目はあるのかも、といまいましそうにつぶやいていた。でもストーリーは画期的だってば。)

そういえば、キョンキョンサブカルだということになっていた時代があったのを思い出した。なんというかそういう誤解だったのかな。藤井フミヤぐらいがちょうどよかったんじゃないか。勝手なこというと。

ほんとうは浅野忠信が出ていると思い込んでいた(声だけだった)ので録画したのだった。浅野忠信はうまいなあといつも感心する。座頭市でも、完全にタケシを食っていた。襷をかけるシーンはまったく見事だった。運動神経がいいんだろうか、殺陣はみごと(居合いをやっている弟によると、浅野忠信のはほんとうに切れそうに見えている、とのこと。ちなみにたけしは逆手だし、まああんなもの、だそう。)

というような日々だったのだが、組合の仕事が立て込んでいたので、激しく疲れてしまい、立つのもおっくうで、基本的にはごろごろしていた(というかたぶん風邪をひいている。水曜の集会でやられたかも。)。へんな自主制作映画を見たり。今日当たり、やや回復。

読書

すこし良くなったのでかろうじて中沢新一の「僕の叔父さん網野喜彦」を読む。こういうおれがおれが体質の人はあまり伝記作者には向いていないことを確認。なんというかしかし人間というのは因果なものだなあ。

ところで先週、mayakovにつれられ、岡本の「ひつじ書房」で、ポール・アザール本・子ども・大人紀伊國屋書店という本を見つける。このポール・アザールって、『ヨーロッパ精神の危機―1680-1715 (叢書・ウニベルシタス (84))』のポール・アザール?って思って解説を見たらそうだった。こんな翻訳があるなんて、児童図書専門店に行かなければ気がつかなかっただろう。店の女性主人にそういったら、児童文学を学ぶ人にとってはずいぶんと以前から必読書とのこと(必読書はもう一冊あってイギリスのなんとかスミスという人らしい)。じっさい野沢協がLa Crise de la Conscience europeeneを訳する20年も前の1957年に出たようだ。意外なところで意外な人に出会った感じ。ちなみにひつじ書房はその筋では大変有名な本屋のよう。
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