お仕事のうち?

会議にでると、つい発言してしまう。ごめんよみんな、会議を長くして。でも、知事の考えなんて興味ないよ。そんなの本人に聞かなきゃ分かんない。議論しても意味ないよ。崩落の恐れがある場所は指摘したけん。こっちはこっちで生活もあるし、リスク・コントロールしただけ。だからそっちも、あとは業務上の責任のおよぶ範囲で処理しておくれ。書類は残したけん。

セキュリティの上昇を憂いつつ安全衛生委員会(le comite de la securite et l'hygene (?!)なんとフーコー的な!それとも下水管の掃除をするロベスピエール?)で、アツく発言するおれ。でも、天井が落ちそうだったら、なんとかしてほしいぞ。セキュリティ万歳。もっとセキュアーな人生を。いつ空が降ってくるか分からなかったら、落ち着いて仕事できないよ。

耐用年数の限界が来つつある(というか明らかに限界に来ている。崩落した壁の割れ目からのぞいているさびた鉄骨に触ると、ぼろぼろと崩れ落ちた)。そんな建物をまだ使おうというのだから、当然メンテの費用は増加するよ。それは忘れないでね。

遠くのバイオテロより近くの壁の崩落。ある日、車にはねられたり、乗ったバスが爆弾で吹っ飛ぶのは、それは個人では避けようはないよ。(これは大きな政治の領分。)でも落ちそうな壁や天井は気がついたら、なんとかしようとしてください。

理系の建物では玄関を照らすライトが、壁ごと剥がれて落下してしまいました。玄関は通行禁止です。

やっぱちょっと異常な感じがするんだが。日本中でそうなんかな。立ち入り禁止区域だらけの公共施設とかありそうな気もするし、あんがいないような気もするし。

これを放置しといて、3K万も給料あげたらいかんですよ。見合った仕事はしてくらはい。
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ここしばらくSchmittのLa Dictatureを読み直していたのだが、そういうわけで読書は中断。知らんことが多いので、ただでさえ遅い読書がますます遅くなる。1日10ページも読めない。
面白いこと書くから、読ましてくり。
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しかし興味深いな。ひじょうに抽象的な不安には敏感だが、具体的な危険にはかえって鈍感になるということか。代償行為にしても、ちょっと奇妙だな。心理的な説明は簡単だけれど、はたしてそうなんかな。個々のレベルではたぶん別の理屈で動いているはずだから、結果としてそうなっているように見えるのは、偶然かな。どういうメカニズムだろう。

バブルの崩壊以降もしぶとく公共事業をやり続けたが、あるところで公共事業費は削減。学校なんかはバブル崩壊後の悪あがきの時期でも、基本的に収入を見込めない施設にみえる(けど結果的には授業料収入があるから、採算の点からも、まだマシだったわけだが)から後回しになる。それも終わるとそもそも公共事業の削減で新規の事業は承認されなくなる。結果、10年くらい経って、いよいよ建物の維持が限界に近づきつつあるということかな。だとするとよく似た施設は、学校など利潤を生まない施設を中心に日本中にあるはずだよな。
いわゆるセキュリティへの関心が増大している(ほんとにそうか?)と言われているのは、どのような理由だったかな。大きな原因は不景気に違いなくて、それは失業やなんかが増えるわけだからそれだけで社会全体としては敏感になる。例えば監視カメラやなんかでも、一義的にはそれが経済的だから導入されるわけだろ(違うのか?)。つまりもう金がないんで、人を雇って失業者へらすよりは、そいつを失業させといて、監視カメラで犯罪しないように監視すると。単純化しすぎか。
つうことは全体として貧すりゃ鈍すで、金がないから余裕のある生活ができなくて、余裕がないから勢いすぐに思いつくかたちでは抜本的なことができないので、実効的かどうかわからない、見栄えの良さげなもので、お茶を濁そうとする、というのが合わさっているだけかな。はて。まだ擬人化がすぎるか。

もしこれがある程度、あたらずといえども、遠からずだとすると、マクロな事象の問題をミクロのレベルの介入の積み重ねで解消しようするという、愚をおかしている、といいうことになる。

つまり、小さなことからコツコツと、大きなことは・・・。

ただなあ、気になるのはシュミットも書いてるけど、police的な行政国家の官僚機構ってのは、じつは監視とか、指示とか、諮問みたいなもんが中心で、現場とのかかわりかたは微妙だil n'aimait pas recourir a des moyens muscles,「力づくは好まない」んだよな。(avec la plus grand prudenceとともに行われるという意味で)。(うーん引いてくる文脈はずれているか?牽強付会か?)

そのかぎりで現場にこそ抵抗の拠点はあるようにも思う。やや単純化しすぎだが。(まあ活動してると実は現場同士では、また違った理屈があるのはみんな知ってることだよな。)

ただしこの辺は微妙なところ。それは(経済学の)シカゴ学派の線でもある。さてさて。またここでフーコーに戻るな。

ちょっと頭が戻ったので、あと一時間だけ読書。

しかしシュミットはよう勉強しとる。たしかにGraftonが書いてるような、ドイツ的な網羅性というのを、こういう気の利いたひとがやると、それなりのもんになるな。