ところで自治労のかたの説明としては
1。国立大学の先生は、私立大学の先生がうらやましかった
2。だから独法化をおこなって、自由にアルバイトができるようにしたかった。
3。だから当初はだれも独法化に反対しなかった。
4。なので文部省も国大協も独法化前に突然反対運動が発生して驚いた。
というのが今回の大学の独立法人化の経緯である。(去年の夏の独法化学習会で、こういうことをおっしゃられた。だいたいは大学教員はねたまれてもしょうがないと思って、黙っているのだが、このときはさすがにあんまりなので抗議して、誰がそんなことを言ったのだと質問したら、自治労に関係のある大学のセンセイだそうだ。だれえ?自治労と付き合いのある教員って。とここまで書いて気がついたけどソースは総務省かな。)
今回は
5。「一部には」反対運動もあった。
というふうに評価はしていただいた。
・・・
大阪の海は悲しい色やね。

  • 論文、独法化

鬼界彰夫「大学の理念、機能、運営について」『科学』 Vol.74, No.4 Apr. 2004
難波さんの推薦。たしかによく考えられたものであり、検討に値する論考ではあるのだが・・・。現在の「大学」がこうした声に耳を傾けることはないだろうと思う。たとえばぼくも彼が批判する教養教育を専門とする、いわば清算事業団とある種の人から見なされているセクションへと来年から行くことになる。まあ強がりも含め、半ば望んでいくからまあいいわけだけれど、制度設計からみて、このセクションにはほとんど展望はない。改組の中でほとんどすべての人間が、いかにこのセクションに送られることから逃れるか、ということに右往左往していた。たとえば生涯教育の理念を語り、アルターナティヴな教育制度の必要性や、多文化共生の理想を語る某氏も、例外ではなかった。右顧左眄するような人もいたかどうかは、幸いフランスにいたので知らずにすんだ。
たとえば、ぼくなどは女子の職業教育というのはたいへん立派な理念だとは思うのだけれど、そうした特殊な理念よりも、大学と教養の理念、彼によると文学部と理学を持った総合大学という制度ないしは箱もの(文理科大学という特殊戦後日本大学的な用語で語ったのだが)における教養教育の重要性を説いた責任ある地位にある者は、鬼界氏が批判してやまないもっぱら教養教育にのみ専念する教員からなる専門機関を、どのようなロジックで正当化したのか、他に向けて誇るべき達成であると語った。その理由はまさに鬼界が批判する理由だった。いうまでもなく、実際に、いわゆる文理科大学の理念、それが指し示す戦後の大学改革の理念、教養教育と教育学部を生んだ大学の理念とは、それは100%矛盾するにもかかわらず。(歴史に学ぶことが欠けているため、年を召して瞬発力だけで勝負できなくなると、都合の良い歴史を作り出す傾向にあるのだろうか。)
きれいは汚い、汚いはきれい、という状況は、それを認めるならば論理学が教えるようにあらゆることが証明可能な、つまりは正当化可能な状況である。この状況において、つまりあらゆる論理が無効となる状況においていかなる対話が可能となるのだろう。
「なるほど確かにおっしゃる通り。全面的に賛成します。とはいえしかし・・・」

    • -

書いたものを見ると、かならずしも研究への欲求が強いともいえぬ某氏が、わたしは大学に入りたての学生にたいしてではなく、研究者を養成するという、高度な大学院教育をしたいのだとこっそりと漏したのを耳にしたとき、なるほど上昇への欲望は大衆の権利、あるいは市民の権利であったのだと、つくづく思わずにはいられなかった。なるほど彼の教育は、大学院でこそ、行われるべきかもしれない。その欲望を否定することはきっと彼のすべてを否定することになるのだろう。
自らに見合った地位を得る。この欲望こそがアルファでありオメガであるのならば、そこで大学の理念あるいは文明としての人類の未来はなるほど、それがどれほど正しい論理であったとしても、後回しにならざるを得ない。
そしてわれわれの戦後は、このことの全面的な肯定によって成り立っていた。

    • -

こうした右往左往を皮肉な目で、あるいは心の中で快哉を叫びながら見ている、組合幹部氏や、あるいは中央官庁の責任者たち、大学批判に精を出し、この改革を支持した大新聞記者たち(大学は彼らにとってのそれなりにわるくない天下り先である)のその快哉の意味は、この状況と密接な関係がある。おそらくは恵まれた特権階級にある(と思われたもの)へのこうした冷ややかな含み笑いとともになされる、「復讐」(いったい何に対しての?)は、たとえそれが鬼界氏がいうように自己破壊的であったにせよ、また、とどまることはないだろう。

    • -

われわれは大学という制度に対してまったく責任、もっとも狭い範囲で考えても、その現在過去未来の学生たちに対して責任を負っており、おそらく鬼界氏の論文から当然示唆されるように人類に対して(少なくとも職務上の)責任を負っている、のである、のであるのだが。
果たして大学という場は、いまでも、何かしら議論なるものが成立する場でありつづけているのだろうか。

      • -

あるいは景気の回復とともに消え失せてしまうような陰鬱さであるかもしれないが、「大」状況はかくのごとく陰鬱であり・・・。絶望以外のものを見いだすことはできない。

    • -

明日は非常勤教職員の健康診断問題。それでも明日はくる。ハラが減ったら飯を食おう。

    • -