3はnのはじまり

母子手帳をとりに嫁の実家に。チビ太はあんなに小さかったのか。写真で見ているとどうしても大きさの感覚を忘れてしまう。チビ太を見た瞬間、そのあまりの小ささに柄にもなく動揺する。いとかなし、いや、らうたしか、などと忘れかけていた言葉があたまをめぐる。
子供が生まれていらい、嫁になんとなく甘えにくくなった。ぼくと君の関係に彼がはいってきたからだろうか。自分でも気がつかないうちにたぶん彼の視線を感じてしまっているんだろう。立場が変わったといえば立場が変わったわけだが、場所よりは関係と考えたい。
おとといのゼミで学生がエディプス・コンプレックスの話をしたとき、それを子供(個体)の問題としてとらえていたので、むしろそれは家族の「関係」を考えるためにフロイトがこしらえた道具であると説明したのだった。
二者関係と三者関係の違い。たぶん前者は「社会」と呼ばれるような何かとは遠ざかる方向にはたらく。社会を考える場合は(まだしも)後者から出発した方がいい。もっとも家族が社会のひな形になるかどうかは、これまた問題ではあるのだが。しかし日本の哲学(というか戦前の京都の哲学というべきか)は伝統的に二者関係に魅了されてしまっており、たぶんそれが(昔)ブーバーや(今)レヴィナスがあんなにもてはやされてしまう理由にもなっている。それは西田がそうだったから、というのがまあ身も蓋もない説明なんだが、むしろ「社会」というのを考える思考法がどうも人間には苦手なものなのかもしれん。社会のことを理解しようとしても、どうしても実感に反することが多く、どうしても拒否反応がおきてしまう。あるいは進化の過程で積み上げられてきた認知のシステムには社会を対象化して考えるというは、おさまりが悪いのかもしれない。一般に、もっとも気持ちが悪いのが統計的な思考population thinkingで経済学でも最初の取っ付きが悪いのはミクロよりもマクロである。

ちなみに、「身も蓋もない説明」の証拠が西田派が温存された京大の教育学部。本体の文学部は戦後そういう路線はパージされたのだが、教育学部に生き残った。ブーバーとレヴィナスで(つまりハイデガーで)公教育を考えるっていうのはちょっとやめた方がいいんだが、なぜかそのようになっており、しかもこの路線は意外と日本の教育政策に強い影響を与えている。その結果、おばかな教育者の理解の枠組みはつねに二者(汝と我、師匠と弟子)になってしまう。まあ哲学コンプレックスなんだろうがしかし日本における哲学理解のバイアスというか誤解のうえになりたった受容のマイナス面だけを受け継いでいるところがあることは、早めに気がついた方がいい。(ただし東大は相対的にそうしたバイアスから自由であって、教育史・教育社会学・教育行政学が(外から見ると)中心になっているように見える。清水義弘というひとの文部省との微妙な関係はひじょうに興味深い。)
教育心理のとくに心理療法にも似たところはあって、現場で患者と接している分にはいいが、そこから社会に問題を拡大しようとするときに、とたんに考える道具が不適切というか貧弱になる。2は1から構成されるが、しかし3を経由しないとnには拡大しない。

ところで3はnのはじまり、というのはby 森毅