買った順にいうと
・嫁の荷物を送りに行ったコンビニで
高橋ヒロシ「WORST(ワースト)」7巻 秋田書店
のりにのっていてすばらしい。バキといいワーストといい、今一番楽しみにしているのがチャンピョン系の漫画だというのは、どういうことだろうか。
嫁にいわせるとつぎつぎと新しい登場人物が登場して喧嘩しているだけでなので、キャラの区別が付かない、そうなのだが、水滸伝の昔より、このジャンルはそういうものと決まっているのだよ。応募者全員サービスの『武装戦線フラッグタオル」を応募しようかどうか真剣に悩む(うそ)。漁村で育ったせいか、(住んでいる時にはそれがいやでたまらなかったのだが)ヤンキー文化が抜けきらない部分があるとは嫁の指摘だが。そうなのか。
ガリアで
連休中にちょっと読んでおこうと金曜日某独立行政法人K大の図書館に資料を写しに行ったら。休館。やりやがった。ええ、ええ、本の整理をしていたんでしょう。これだから。しょうがないので、ガリアに行ったらまた本を買ってしまう。弁償してほしい。
Le Goff, L'europe est-elle nee au moyen age ? , Seuil
嫁の実家で少し読む。まだ3章までしか読んでない。若干の懸念あり。ただ翻訳して受験生とかに読ませると良いかも。薄い本だけれど、教科書では無味乾燥な名前の羅列でしかないことが、もう少し具体的に感じられるのではないだろうか。そういえば僕にとってはそれは河野健二『西洋経済史』岩波全書(昔はいい本だしてたよな)だった。あれでずいぶんと助かった。
・3月書房で
ないしょの本(きしくん買ったよ)
山田慶兒「気の自然像」岩波
思想に連載してたのは知ってたが本になったのは知らなかった。山田先生は本当にクリアーな人だ。どういう風に料理しているのだろうか。興味津々。(そういえば岩波の本を買うのは何年ぶりだろう。)
・嫁の実家で
小野十三郎『大阪ー昨日・今日・明日ー」角川新書

眼下の海は暗く深い/廃墟と化した工場の鉄骨構造が/その中にどっぷり沈んでいる/かれらが/ときどき交わす会話も/咳ばらいも/そこへは達しない

という詩を戦争中に書いた小野は、重化学工業化のなかに、「それを逆手にとって意識強化が計れるアクチブなもの」を見いだしていた。「重化学工業の発展は、いやおうなく頂点と底辺の関係を鮮明にするだろうというおもわくから大阪が重化学工業都市化してゆくことにひとつの夢をたくした」のである。彼はだから

京都大学梅棹忠夫は「そうね、近代日本は、大阪の役割の見当がちょっとまちごうたと思う。東京は転身がはようてね、工業都市にならなかった。これ非常に巧妙なところでね、大阪と東京の大きな違いだと思う。東京都内にね、工業少ないですよ」といっているが、私などが見るところでは重化学工業化という構想だけが近代大阪の唯一のとりえなのである。p.160

と書き記すことになる。1967年のことである。いまもし小野が生きていて現在の大阪の姿をみたらどういうだろうか。
・帰りの電車で
立花隆言論の自由VS●●●」文芸春秋
学生全員に必読といいたいくらい。立花隆の良いところが出ているように思う。このスピードでこの内容は彼でしかかけないだろう。憲法についてはまえにフランス革命期の憲法構想をちょこっと調べた。じつは教科書とかは読んだことがないんだがそれでも今回のような判決(?)が無謀だということぐらいは分かる。国家主義者になった気分で考えると、(公の)報道の自由とプライバシーの権利と、二つ並べるなんてことはできないと思うのだが、なんでそんなことしてしまえるんだろう。正義の味方だからか?(もし判事が後藤田だったら、訴え自体絶対却下だったろう。)
司法が行政権力化しているというのが日本の特徴だとは前々から思っていたが、しかしひどい。それにしても裁判官といえばエリートだろうに、しかも血筋ではなくメリット(能力)で選ばれたはずなのに、もはやその根拠そのものが失われつつあるのか。
立花本でやはり重要なのはメディアの腐敗の指摘。もちろん裁判官といえども毎年毎年のよっこらしょ、とざっくり採用するのだから、頭が悪いおっちょこちょいはいるわけで(それにしても今回の決定はひどいが)、100歩譲って、今回はそういう例外的事件であると了解するにせよ、しかし、そうした場合の担保になるはずのメディアが駄目になっていることは、もちろん知ってはいたのだが、それにしても具体的にどれほど恥ずかしい失態をおかしていたかを知ると・・・つらいものがある。個人的に大新聞購読拒否運動中(消費者に許されたたったひとつの行為)だったのでこの本を読むまで知らずにすんでいたのだが・・・。
立花隆がいて良かった。カンパのつもりで新刊本で買う。

まあ日本にはジスカール・デスタンみたいな、権力を握ったエリート保守というのがいないので、こういうときに困る。こういうタイプの人間が目に見えるかたちで存在していると、たぶんにちゃんねらーみたいなのも目が覚めるだろうに。アメリカもフランスも共和主義者って保守だってことの意味が、日本にいると非常に見えにくい。