しばしの

出産準備のために嫁を実家に送り届け、しばし滞在。これから久しぶりの独身生活。まえはどうやって生きてたっけ。

テレビで捕虜ふたりの会見を見る。しっかりしているので感心した。妻の実家ではネットをみることもなかったので、精神衛生にはたいへんよかった(?)。もうすこし余裕があってもよかったけれど、まだ若いもんな。逆風だし。きっと一皮むけるだろうな。本人たちはそれどころじゃあないだろうけど、そういうのはちょっとうらやましい。

それにしても、ねっとがこんな感じになってしまうのはいちど真面目に考える必要があるなあ。身も蓋もない答えがでそうでちといやなのだが。商売柄若い人に接する機会が多いはずなのだが、接する人たちにまあ多少のバイアスはあるにせよ、素朴な子女たちの意見はネットの多数意見とは違う。ネットだと、どうして(微妙に)「いけてない」「サラリーマン」の「おっさん」みたいな意見が支配的な層になるのはなぜなのだろうか。サラリーマンというのは、福祉国家においてはどちらかというと勝ち組というか「相対的に」恵まれており、おっさんというのも同程度の能力でもって比べると、女子よりは下駄をはかせてもらっており、かつサラリーマンであるかぎりで、その他大勢感が拭いがたくあって、なんとなく「いけてない」感じが(たぶん自分自身にとって)する人ということになるのだが、ああ身も蓋もなさすぎるな。この方向で考えるのはやめよう。ただしこの辺りの層がいわゆる福祉国家の崩壊によって直接の被害を受ける(と現実はどうあれ、すくなくともそう考えられている)層であることは確か。

不思議なのはおたくって、なんでエリートに感情移入するやつがおおいんだろう。エリートっていうよりは現場の行政官的有能さ、なのだが(なるのは案外楽だよ)。公務員批判をしながら、下級公務員になりたがるという矛盾。最初に気が付いたのはアップルシードだから80年代の前半頃か。どうも漫画書いたり読んだり、ゲーム作ったりしたりするのが好きなタイプとはまるで正反対なのだが。このへんを追求すると身も蓋ももなくなりそうなので、身もふたもなくならない推論をしないとな。閉塞しているわけだから、ルサンチマンといやあルサンチマンなのだろうが、なにか救いようはないんだろうか。だめなんだろうか。

いっぽうで、アメリカによるイラク人捕虜虐待の報道。占領ということになると、有象無象が送られることにはなるので、まあそういうことをやってしまいがちな人たちも大量にいるだろうとは思うのだが、しかし、じっさいにやれてしまうというのはシステムというか規律の問題なので、そのことは、すこし不吉な感じ。前線であるはずなのにな。