あれこれと雑務

学校まで車だとたぶん10分ぐらいで余裕でついてしまう距離なのに、バスだとかなり大回りする上に、えらく遠いバス停にしかとまらないので、今日のような雨の日には、道が混むためにへたをすると一時間かかってしまう。雨の日の一コマ目はなにか理不尽な感じがする。神戸に非常勤に行ってたときは2時間弱ぐらいかけて、しかも一コマ目だったのだが、とくに理不尽という感じはしなかった。朝三暮四でだまされる猿みたいなもんだが、なにかしらそういうところは抜けきらぬものらしい。
授業ではだいたい二コマ分の分量を一気に一コマでしゃべったので大変疲れた。
雑務の合間に組合の仕事。友人と雑談。火曜日は断片になった時間がぱらぱらと過ぎてゆく。
夕方から新入生の顔合わせコンパ。コップ半分のビールで一気飲みでえらく盛り上がっていた。たしかにそういう校風ではある。ときどき肉食獣もいるのだが、そういう学生さんとは話す機会はない。
僕はと言えば、20代は雑多な本ばかり読んでいた。あのころまじめに勉強しておけばと思わぬでもない。会議と雑務の合間にFrancoisに教えてもらったGraftonのThe Footnoteを眺める。こういうのをちょっとした合間に読めるようになりたいが、まだ無理だ。君には教養がないと言われて(Francoisにではないが)、だからといっていまさらどうしようもないのだし、べつにそうだとしか言えないから傷つくわけでもないけれど、しかしこのことはいっぽうで、制約とは言わないが、まあ一種の条件のようなものとして引き受けざるを得ない、という気はする。無教養というこの条件をどう引き受けてものを書けばいいのか。実際には教養があったベンヤミンとはまた違った回答のしかたをしないといけないのは確かだ。
実際に書くときにそんなことを考えるわきゃないのだが、ふとThe Footnoteのような、決して書くことはない(というか書けないだな。逆立ちしても)タイプの本を眺めると、そういう無駄なことをつい考えてしまう。
終わってから準備。Sieyesを読みなおしておかねば。けれど話す時間はないかもしれない。明日も一コマ目。雨やんでほしい。