前回の授業での、ぼくの叔母の葬式の話と、テレビでのインタヴュー(断固とした処置)の話をした。つながりがすこしわかりにくかったかもしれない。「順番」という話をしたい。
順番、僕にとっての。たとえば僕は実感としてある種の成熟を欠いている。愚かであり軽率である。にもかかわらず、ある種の状況が揃うと一定の役割を強いられるということがわかった。
日本もまた世界史的な観点で見ると、そうした順番にきている。今回の3人の事件でもっとも印象的だったのは18歳の少年がいたということだ。おそらく戦前ならば彼はイラクでなにが起こっているか、知る由もなかっただろう。あるいはもし彼が戦後すぐに生まれていたとして、ある種の努力によって情報を手に入れたとしても、彼がイラクに行くことはおそらくなかっただろう。自分の少年時代を思い出してみれば、18歳の少年がイラクで何かが可能であると「想像」することはできただろうか。小田実という青年が、奨学金を手に世界中を回ったとき、彼が同世代に与えた影響は僕たちの想像を超えていた。おそらく彼は当時の日本にあって、そうした想像を行い、そして実現することができたただ一人の青年だったのだ。
けれど今回、北海道の率直に言ってその書いたものから判断するに、いくらか気が利いているだろうけれど、かならずしも特別な存在ではない高校を卒業したばかりの18歳の少年は、18歳なりの正義感と(おなじことだが)軽率さあるいは勇気とともに、イラクという場所で自分が何かをなし得ると想像し、そして現実にイラクまで行ってしまった。同時に拘束されすぐさま解放されたた中国人のように、彼らはイラクに出稼ぎにきたわけではない。カメラマンしはあるいは出稼ぎといえるかもしれないが、しかしそれにしたところで、この国で十分な金を稼げないというわけではない。彼らをイラクに向かわせたのはある種の想像力であり、現地で金を稼ぐことなく、渡航費用と滞在費をまかなうことのできる現実の経済的な力であって、つまりはいまわれわれの生きているこの社会の豊かさであるのだ。たしかに3人に共通してあるある危うさもまたその同じ豊かさによって生み出されたのだろうと思う。
あるひとつの政治的単位としての日本という国に、あるいは、いま僕たちが享受しているこの社会に、ある「順番」が回ってきたのだろう。あるいはそこにはしかるべき成熟は欠けたままなのかもしれないが。
ただ一定の豊かさを背景にしたああした想像力と行動力(ないしは経済力)もった世代(それがわれわれの世代だ)があらわれ、イラクという戦争によって疲弊した地域に、その若さにふさわしい勇気と軽率さで何かをなそうとし、そして実際に行ってしまった。それを可能にしたのは、この国あるいは社会の豊かさであり、あえていうならそうした「段階」に僕らの世代が到達してしまった。それをあえてニュートラルに(成熟とよばずに)順番と呼びたい。運命や成熟といった負荷のかかった言葉はざんねんがら、少なくとも僕にはふさわしいものとはおもえない。
そして軽率さは決してそれ自体罪ではない。勇気はなにがしか常に軽率である。ぼくは自己責任という議論がネットや新聞をにぎわせたとき(at their own riskと意味で使っているのだろうか?それともほんとうにただのお金の問題?)、ある韓国人留学生のことを思い出した。東京のある駅で線路に落ちた日本人を救おうとして電車にひかれてしまった留学生。彼はたしか母一人子ひとりだったはずだ。彼に大学を卒業させ、日本に留学させ、将来に大きな期待を抱いていたその母親にたいし、彼はなにがしかの「責任」があったといえないことはない。他人を救おうとしてもっとも感謝をするべき母親を、取り返しのつかない形で絶望のどん底に落としてしまった彼は、彼の勇気は、たしかに無責任であり、軽率であるかもしれない。
あるいは妻と子供を伴っての不法入国のすえ、溺れた子供を助けようとしてみずから死んでしまった中国人の男性の軽率さとかれが果たすことのできなかった責任。
彼らに向ける言葉がおそらくあるとするならば、あなた方はわれわれの友人であり、われわれの隣人であり、そして対等な市民なのです、という言葉から始めるのがいいのかもしれない。
そしてそれは政治の水準ですらそうなのだ。

Well, everybody should understand the risk they are taking by going into dangerous areas. But if nobody was willing to take a risk, then we would never move forward. We would never move our world forward.
And so I'm pleased that these Japanese citizens were willing to put themselves at risk for a greater good, for a better purpose. And the Japanese people should be very proud that they have citizens like this willing to do that, and very proud of the soldiers that you are sending to Iraq that they are willing to take that risk.
But even when, because of that risk, they get captured, it doesn't mean we can say, "Well, you took the risk. It's your fault." No, we still have an obligation to do everything we can to recover them safely and we have an obligation to be deeply concerned about them. They are our friends. They are our neighbors. They are our fellow citizens.
適当にゆるく訳してみます
 たしかに、危険な地域に行くことでどれだけのリスクを負うことになるのか誰もがそのことを理解しておかないといけません。しかしながらだれもリスクを引き受けようとしないなら、私たちが前に進むということもないでしょう。私たちの世界が前に進むことはないでしょう。
 だからこれら(三人の)日本の市民がより大きな善のために、よりよい目的のために、あえてリスクをおかしたということをわたしはうれしく思っているのです。そして日本国民は、あえてああした行動をとるような市民の方々がいたということを、たいへん誇りに思うべきですし、あなた方が派遣している兵士たちを、彼らはあえてリスクを引き受けようとしているのだと、たいへん誇りにすべきでしょう。
 もし、そうしたリスクのゆえに、彼らが拘束されるようなことがあるとして、だからといって「ああ、君はじぶんでリスクを引き受けたんだろう。それはきみの失敗さ」と言ってもいい、ということにはならないのです。それどころか、あらゆる努力をおこなって、彼らを安全に取り戻すという義務を私たちが負っているのですし、そのことにきわめて深い関心を持つという義務がわたしたちにはあるのです。彼らはわたしたちの友人であり、彼らはわたしたちの隣人であり、彼らはわたしたちの同胞なのですから。


このように答えるパウエルにはある種の狡猾さ、というか合理的な計算が存在する。おそらくこれは小泉がこういうべきだったのだ。最大の問題は、こういう政治家をわれわれはついぞ持ち得なかったということであり、おそらくは合理的な目的を欠いた、奇妙なジャーナリズムしか持ち得なかったということだろう。
ところで「あのひとたちはわれわれ(アメリカ)の友人であり、隣人であり、同胞(対等の)市民なのだ。」とパウエルが言ったわけなのだが、彼らがもしアメリカの(パウエルの?)友人であるとするならば、われわれの首相は、アメリカの友人なのだろうか。
そしてこの問題の報道については当初からより大きな問題があった。日本という国ないしは社会が到達したある段階に見合った形でのつまり国際問題としての報道がなされてこなかったということがある。イラクを出、日本に戻る彼らを何十人ものジャーナリストが追いかける。ジャーナリストだけでなく、一般の野次馬までもが追いかける。
当初からこの問題は同様に拘束され、今なお解放されない、--それどころかすでにそのうちの一名は殺されている--他の多くの国々の捕虜の問題としてとらえるべきであり、ファルージャでおこった600人ともいわれるアメリカ軍の包囲殲滅線によって殺された死者とともに語られるべきであった。たしかに彼らの軽率さを語ることなるほどひとつの報道だろう。ブッシュの立場あるいは小泉の立場に立って、その軽率さは「敵」に付け入る隙を与えたと憤激することもまた(残念ながらこの国においてだけだが)ひとつの報道であるのかもしれない。だがそれは所詮エピソードに過ぎず、どれほど多くの人がこの「論争」に参加しようが、彼らをイランに送り出した日本の豊かさとその政治的立場に見合った問題ではけっしてない。現在も捕虜は存在し、ファルージャは不安定なままであり、そしておそらくはこの瞬間も兵士たちは銃を構え、政治家たちは交渉をし、この戦争の行く末を構想している。おそらくはそれが日本という、十年間の停滞にもかかわらず、世界で第二位の経済水準を誇るこの政治単位に見合った問題ではないのか。
それがわれわれが現在置かれた立場であり、巡ってきた順番ではないのだろうか。彼らはその順番を迎えた世代であり、それを代表しているとはいはないが、そのなかのいくらか軽率なものとして、「あえてリスクをおかしながら」この社会と世代のなかでイラクに行くという役割を担った人々である。
だがこの問題を憂い、憤激した一部の市民は空港に出かけ、自業自得というプラカードを掲げ、政治家は費用の弁償を口にし、これらのことに加え、新聞は小泉政権の支持率の上昇を報道する。これは国際問題ではなかったのだろうか。われわれはイラクの問題に取り組んでいたのではなかったのだろうか。
あくまでイラクの問題は一義的には国際問題でとしてあり、そこに日本が関与するかぎりで、それは国内の問題となる。三人が甘えているのか甘えていないのかは、最大限譲歩しても、せいぜい各家庭の問題にすぎない。あるいは教育問題? いずれにせよそれはイラクの問題ではけっしてなく、そうであるかぎりで他の問題との関連で分析されねばならないだろう。
だが、捕虜となった彼らが、われわれの到達したこの段階に見合った(なにがしかの軽率さないしは無謀さの裏面でもある)想像力と行動力(勇気)を行使したというその事実だけは、たとえその他のすべてのエピソードが消えてしまったとしても、おそらく世界史に否応なく残ることになるはずだったのだ。

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が、どうやらこの国は奇妙な形で歴史にこの問題を刻み込もうとしているようだ。