今年の三冊と思ったら、四冊あったし、今年のじゃなかった。

そろそろ今年度の三冊とか書こうかとか思っているのだが、なかなかうっかりしていて、いつも忘れてしまう。書くのも忘れてしまうし、読んだものも忘れてしまう。読書の忘却装置みたいなものだ。いつものとおり、仕事に直接関係のない本、もらったわけではない本という縛りをかけて思い出そうとするとますます思い出せない。

これはなるほどと読んでいて膝を打ったのが、 岡崎乾二郎の『抽象の力』亜紀書房で、芸術関係の本を最近ときどき読むようになったのだけれどこれはピカイチ。納得するわーといいながら読んでいたら妻にとられた。

抽象の力 (近代芸術の解析)

抽象の力 (近代芸術の解析)

 

同じように妻にとられたのが紀平英作『ニュースクール』岩波で、いろいろと謎が多い学校であったのだけれど、ああーそういうことかーという感じで、これを読んで色々腑に落ちた。なるほどなるほど、そういうことかーと言いながら読んでいたら、やっぱり妻にとられた。 

ニュースクール――20世紀アメリカのしなやかな反骨者たち

ニュースクール――20世紀アメリカのしなやかな反骨者たち

 

で、そしたら驚くべきことに書評の依頼が舞い込んできたから、ついつい50枚も書いてしまって、怒られた。いまは反省している。なんとなく行きがかり上なんだが、リベラル万歳! みたいなことになっていて、まあお前がいうかみたいな感じなんだけれど、書いているうちにそうなっちゃったから仕方ねえ。とにかくケインズとコルムを出してくるところがなかなか余人には思いつかなくてよい。

シュトラウス? は? そんな人もいましたねえというあたりの見切りもよい。これが噂の老人力であろうか。

これは去年買ったわけじゃないけど、神崎繁『内乱の政治哲学ーー忘却と制圧』講談社。なんども読み返しているのでもうボロボロになっている。しかし読んだわりにはわかったという感じはまだしない。著者が何をしたかったか理解が届くまでに、もうちょっと時間がかかる感じだ。

内乱の政治哲学 忘却と制圧

内乱の政治哲学 忘却と制圧

 

 そして木庭顕『憲法9条へのカタバシス』で、とくにその7 「Hobbes, De cive における metus 概念」で、これは感心した。だいたいこの著者の言うことはよくわからないことが多いのだが、よくわからないのは著者も悪いのかもしれないけれど、こっちも悪くて、やっぱりちょっと確認しないとウンとは言えんなあということがあるにもかかわらず、しかしギリシア語もラテン語もよめないので、確認のしようがない。ホッブス論もトゥキディデスやんかといえばそうなんだけれど、さすがにちょっと勘が働くので、これはなかなかガッチリ作ってあるなあと感心した。さすがに国家学会雑誌はいいものが載っとるな。人類のためにリポジトリにあげてもらえんやろか。ウチのアレとは大違いだ。

憲法9条へのカタバシス

憲法9条へのカタバシス

 

 

ちょっと意図的にというか、なんとなーくリラクタントな気持ちになって、送ってもらった書物をアップして、ありがとうと書くのをやめていたのだけれど、そろそろ復活しようか。

なんとなくブログから離れておったが、アプリになると、なんかiPadでちょっと書くのが気楽でいいな。しかしこれリンク貼るのはどうすんねん。