追記

なんとかセラピーとか、身も蓋もなく言うと、お医者さんごっこをやりたいということなのだろうけど、その欲望のありようが分かるようで分からない。
つまり合意の上でなら何をやろうと、別段文句をつけるようなものではないわけなのだが、なぜそこに公的な性格付けを行わなければならないのかがわからない、ということなのかな? >おれ。
承認欲求とかまあそういうことであるにしろ。なんでつねにこの形式なのか。
希薄でない人間関係への欲求そのものは、社会的紐帯のゆるみとか、そういう疎外論図式でよいとして、なんでこの形式なのか。
たしかに中間集団貧弱ではあるけどなあ。というかアソシアシオンはたぶん積極的に「イヤ」なんじゃないかなあ、そういう人は。まあ、おれもイヤはイヤだな。めんどくせえもんな。メンテするの。

基本的に投薬であれカウンセリングであれ、治療行為がやりたければ、医師資格をとるか、臨床心理士資格をとればいいわけだし、それはまあみなそうしようとしている。そこは非常にストレートで、向いてないと判断されれば排除される仕組みにはなっているはず。そのためには制度化されたコースが存在している。あるいは、すくなくとも教育分析なるものは存在してるはずだ。
あるいはそういうややこしいものではなく、なんらかの親密な人間関係を設立したいのであれば、別段臨床といわなくとも、さまざまな舞台は用意されているし、そういったものは友情であったり、愛情であったり、あるいはもう少し目的をもった人間関係を中心に考えるのであればいわゆる中間集団でのさまざまに社会交流に参加すればよい。古来より、社会性などという曖昧かつ便利な言葉も存在する。
やはり犯罪であるとか、病気であるとか、そういった本来的にマージナルな対象への興味に駆動され、なおかつ同時にお医者さんごっこの領域にとどまろうとする欲望があると言ってよいのかな。制度化された文字通りの臨床に端的に進むのでない場合。
男子が女子にこの欲望、つまりお医者さんごっこの欲望を向けるのはまあ良い悪いはべつとして分からないわけではない。その場合、国家資格がどうのこうのというのは、たしかに迷惑千万だろう。
しかしこういう男子から女子というベクトルだけには限られていないような感じもある。女→男もああれば、女→女もある。男→男もあるんだろう。なんとなくそういう欲望の有り様は少ないような気もするのは偏見かな。ああ、あるな。あるけど、たぶん権力とか政治とかが絡んできそうな感じもするな。なんでだろう。なんとなくデンパで男A→男Bの場合、男Bなんか間抜けな感じがするなあ。偏見かなあ。

いずれにせよこうした人間関係の希薄化を前提した、その解消策が、メディアを通じた疑似臨床的なお医者さんごっこという形式をとらざるをえないのは、遠隔力の可視化なのか。しかし身も蓋もないな。文字通りデンパの内面化ということになるな。自分の影響力が、デンパとかいわゆる「媒体」によって裏打ちされているから、安心するのかな。

しかしそれはほとんど何の意味もない自己満足に過ぎないのだけれどな。

あるいは、なんであれもこれも欲しがるのか、それがよく分からないのかな。なぜそんなに異様なまでに自分が大事なのかがよくわからないのかな。どういう欲望のありようなのだろう。よくわかんねえ。

統合失調症が軽症化してんだよなあ。なんかそういうメカニズムあんのかな。