おそらく

真実が何かを言おうとするとき、ときにそこには過剰な意味が込められ、ひとはおそらくその過剰な意味に足を取られる。

地面に落ちた血、風に乗って運ばれた声、目の上に残った青タン。荒々しく閉められたドアの音。紙の上に残った光の痕跡(写真)。指紋。
そうしたさまざまなモノとして残された痕跡にとどまることは必ずしも簡単なことではない。ひとはそこに因果関係を期待する。なぜ、このような事件が起こったのか。なぜ、ひとはそうしたのか。ひとが真実という、過剰な言葉を使うとき、しばしばこの「なぜ」はそのときに手に入る以上の早さで前に進もうとしてしまう。ともかく現在形のできごとにたいしては、現実に流れている以上の早さでは事態は進まないのだが、その現実の時の流れにとどまることは、むろんそのひとの性格にもよるのだろうが、なかなかに難しい。
べつにそうした組織にいるからでないにせよ、トラブルの種は持ち込まれる。若いときは、やはりそれなりに思慮が足りない場合もあったから、若いなりの「正義感」とともに、一方の側から介入してしまう。むろん研究というのは、どこかでシロかクロかをつけるものであるし、そうでない場合にしてもひとつの物語を作るものではあるから、やはりそこは自分をたのむようなところはあったのだろう、今思うと軽率に、と言えば言えるようなかたちでやや性急に、つまりは拙速にというようなかたちで介入してしまったような気がする。
あるいはそれ相応に若かったから許されたこともあるかもしれないけれど、今となってはそういう拙速さは許されないかもしれない。とはいえいまも結局は気がつくと口を出しており、手も出してしまう。けれども多少は昔よりはなにかが遅くなっていることは確かだ。経験に学んだといいたい気もするし、多少は痛い目に遭って臆病になったというのが正確かもしれない。

革命というのは拙速なものではあろうから、どうしても若者がやるしかないのも道理ではある。

とはいえ逆に言うと、手を出し、口を出し、失敗したことで、そういう臆病さが手に入ったということでもあれば、あまりにいい年をした人間が、拙速にことを運ぼうとしている場合、どうもいかがわしいというと言い過ぎかもしれないが、すくなくともある種の疑念はふくらむ。手を出し、口を出してこなかった(あるいは口は出しても手は出してこなかった)人が、年とともに、あるいは偶然の結果、前に押し出されるかたちで、現実に進んでゆく事態の早さを超えて前に進もうとしているのではないか、という疑念だ。そしてしばしば、これまでどれほど口に出して何を言ったところで、何も変わってこなかった、何にたいしても関わる必要がなかったか(あるいは誰かに守られていた)からではないのかと、まあそういう疑念を抱いてしまう。

すこし踏み外してみよう。「なぜ」そのように急ぐのか、時間の流れを超えて前に進もうとするのか、なぜそのとき恐れがそこに欠落しているように、非常に脳天気に、真実をその手に握っていると信じることができるのだろう。なぜ、そこになんらかの「正義」があると思えるのだろう。

あるいは「なぜ」手に入る以上の真実をひとは(ある種の人は?)求めてしまうのだろうか。とりあえずそれをイデオロギーの効果だと名前をつけてみたわけだが、たしかに、まだそれは十分な回答ではない。それを現実から切り離してしまえば、あまりに答えが一般的なものとなるからだ。そういう傾向を嫌ったからだろう。たとえばフーコーはこのイデオロギーという言葉にはわりあいと距離を取っている。が、使い方に気をつけながら、わりと丈夫そうなところから、順番に手を進めてゆくのはまあまだ大丈夫ではないかという感じもする。

結局、昔であれば「本質」とでも呼ばれたような何かがあって、それがある種のオールマイティな説明を与えてくれるという、非常に直線的な因果関係の存在を非常に無根拠に抱いている「幸福な」あるいはそうせざるをえない「不幸な」人びとなのではないかという疑念が離れない。

結局、マルクスの宗教批判はここから(どちらかといえば後者から)始まったわけだ。(ぐるぐる回る)