追記

SOPはずいぶん前から数を数えているのだけれど、理解の仕方がやはり大人と違うのがおもしろい。1の次は2、2の次は3ということは分かっていて、いまはお風呂で25まで数えている。が、15までくると、もう終わり?と必ず聞いてくる。どうも量として数を把握するところまではいっていない。ふと思いついて、片手を挙げて、指はいくつある?と聞いたら、自分の親指を折って、四つと自信満々に答えた。しかしユクスキュルならずとも、どういう世界に住んでいるのか「理解」したいが、こればかりは「理解」できないのが、歯がみするほど悔しい。ぼくが年を取って、数を量として把握できなくなっても、そのことの「意味」はわからないのだ。ああ悔しい。

自分のことでかろうじて思い出せるのは、足し算がたぶん上手く理解できず、一年生の最後の授業の日、教師が、今日で終わりだから、最後にドリルの最初に戻ってみんなで足し算をしようといい、足し算の問題ばかりが書かれた細長いドリルをもって、机と机のあいだを回りながら、「さんたすよんは」と大きな声で叫んで、生徒にいっしょに「なな」と答えさせるということをやった。
クラスのみんなが、式を読み上げる教師の声に、「なな」とか「ごー」とかどうもやすやすと声を揃えて答えているのに、ぼくはぜんぜんついてゆけず、子供ごころにこれはなにか大変まずいことになっているとう感情のような思考のような、そのときの気分が記憶の残滓として残っている。だが、そのときに計算をどのようなものとして考えていてなぜそれほど時間がかかっていたのか、もう、さっぱり思い出せない。
どうやら物心がついたのは三年生ぐらいになってからのようで、それまでのことはきわめて断片的なイメージしか覚えておらず、記憶に残っている数少ない意味のある状況だから、それなりにショックだったのだろう。ちなみにこの(トラウマ的な?)状況の他に、いま思い出そうとして、思いだせるのは、うまく縦笛が吹けずに、土間のようなところに通じている薄暗い廊下に誰かと並んで座って居残り練習をしているところぐらいだ。