さいしょに

RPGをやってみたときに、これは物語ではなく、インターフェイスを遊んでいるんだなと思ったことがある。アップルも任天堂も、実現の仕方は違うが、新たなテクノロジーの投入先については、みごとに一致している。PS3に欠けているのはそういう体験だろう。PS2はたいして遊ばれもせず、DVDの再生機としての短い人生を送ったあとは、埃にまみれている。むしろスゴ録のほうに、そういう方向性は見えたが、残念ながら画質を追い求めたためか失敗してしまった。無論、記録するべきコンテンツが貧弱すぎたということもある。いや日本のテレビ番組程度の貧弱なコンテンツならば、Youtube程度の画質で十分なのだし。
こじつけ気味だが、PS1が任天堂にたいして当時優位に立ったとすれば、3Dの世界を体験させるという方向性を強調したことにあるとすれば、その成功の意味がきちんと分析されていなかったということになるのかもしれない。むろんCDという大容量の記録媒体を採用したことも大きかっただろう。だがiTuneとiPodでますます実感されるのは、記録媒体をもって歩いて、取り替えるという行為が過去のものになりつつあるということだ。ノートパソコンを使っていると、もはやコンピュータにリムーバブルのディスクを入れて、それをモーターが回転させているというだけですでに気分が悪い。CDを買っても、最初にするのは音質を悪化させてハードディスクに記録することだ。ぼくがCDを買うのはほとんど惰性と、日本のiTune music storeがクソだという理由以外のものは見つからない。そう考えるとPS3がブルーレイ・ディスク・プレーヤーとしての位置づけを強調するのは、プレーヤーとしての性格付けという観点からしても、いかにも後ろ向きな感じがぬぐえない。

通常の家庭用コンピュータでは、まったく不可能な、ありえないほどリソースを無駄遣いしたユーザーインターフェイスを、PS3に乗っけてくれないだろうか。ダメもとなんだし。