憲政史上初の、という修飾がつくべき状況だった。問題は、いうまでもなく、このような状況がなぜ許されてしまったのか、ということにある。そしてそれは何を意味しているかということ。ほとんど全員一致で選ばれた総裁であり、三分の二の選良の支持をうけた総理大臣である。無論その三分の二の代表の獲得は、かならずしも当人の成果ともいえないのであるが、とはいえしかし国民からの付託を受けた彼らが選んだ総理大臣である。むろん単純な投票ではなく、政党内の集団の力学その他、数多くの要因がそこには働いており、ひとつの制度が存在している。
だが、それもこれもひっくるめての立法府が選出した内閣総理大臣は、しかしあきらかにその器ではないことを暴露するかたちで、統治を放棄したのである。むろん選択に失敗はつきものであるが、しかし何事にも論外というべきことはある。四則演算を理解できない人間が直接に初等数学を教えることはない、という程度には制度は整備しておくべきだろう。

しかも一国の総理である。

これは議院内閣制そのものの危機であり、立法府の危機であるとすらいうべきだ。政治というものがもし必要であるとすれば、われわれは今後、それにどう関わってゆけばよいのだろうか。とりわけ、ここ十数年、立法府というものをいっそう重視すべく、「政治」の「構造」を「改革」してきた、そのさなかである。基本法を変え、憲法を触り、安全保障を政治課題化することにあれほど執心であった総理大臣が、である。いや今現在、安全保障上の最悪の危機だよ。総理は入院し、内閣は無力化し、議員の最大の関心は後継選挙。つまりポスト。

互選という仕組みが機能していないと、つづめていえばそうともいえる。そのとき、どうするのか。

世が世ならクーデタであるというのは、そういうことだ。

建前のレベルのことですよ。わたしが言っているのは。しかしそうした建前のレベルの整理なしには、どう考えても毀損されたとしか思えない信用を回復することはできないんじゃないだろうか。

ぼくは人類という種はね、より悪と不幸を減らしてゆく方向に進歩すると信じているのですがね。それは戦争ですら、いまや、その遂行には正当化が必要だという、そういったところにしかあるまいと思うのですよ。たとえそれがきわめて個人的な利害のみに突き動かされ、不幸のみを一身に背負う人びとを作り出しているだけであったとしてもですよ。

いやまあ大げさな物言いをわざとしてみましたがね。しかしまあ深刻な事態であると思うんですがね。抽象的に考えると。
なんか閉じた狭い業界内だけの事情だけで、ことが済むような世界にいるような恐怖あるんですよね、この国では。まあどこの国でも多かれ少なかれそうなのかもしれないけれど。ただまあ言語のせいか、切り離された感じするんだよね。メディアとかも典型的にそうだけど。非関税障壁みたいなものだからね。
カワイソーだよねーとかね、オツカレサマーだよねーとか、ベッドの隣で言うべきことは、ベッドの隣にいる人に言ってもらえばいいことであるし、またそうでないと、意味がないしね。どうしても言いたいなら、ベッドの隣に手が届く地位まではい上がってゆけばよいのだしね。
いずれにせよ政治やマネジメントなんて、すぐに言うことを聞かないやつ、違う意見を持ったやつが大量にいるから必要になるのであって、ストレス溜まるのはデフォルトですよ。
まあ、大学もそういうところあるけどな・・・。下から見ていると、とりあえず全体の方針には賛成しないというだけで一致していたけれど、上から見たら、それ以外に一致しているところはないから、上に行ってみてはじめてみんなが言うことを聞かないからびっくりしたりして、裏切られたとか思ったりしてね。まあただでさえ年下の学生とつきあうことが多いから自惚れがちだしね。
けどまあ政治家だからね。学者がマネジメントに向かないというのはわけが違うよね。やっぱより深刻だよなあ。