ようやく

講義は終わったが、卒論はある意味本番である。とはいえスレッドが一個であれ減るのは助かる。同じ業務量でも並行して走っている仕事が多いとどうしても混乱する。だいたい学者は(もどきも含め)どちらかというと視野狭窄になりがちな人間が向いているところがあって、そこは自分もご多分に漏れない。
とはいえ一個減ると一個増えるのが世の中で、あれやこれやと通常業務に加え、今年は大学の引っ越しが待っている。授業やらその他通常業務を走らせながらの引っ越しであるうえに、タイトなスケジュールを組んだから、いろいろと玉突きシステムになっていて、どこかが詰まると後ろがつかえることになる。すでに2月中の引っ越しのはずなのに引っ越し先の研究室が空くのが3月末になっているとか、3次元空間内では解決不可能な問題も一部では発生している。
個人的には同業他者に比べてとくに多いわけでもないのだが、異業種のひとからみるとあきれるくらいの本の量がある上に、図書館から借りっぱなしになっている本が、うん百冊くらいあって、それを整理して返すものは返さないといけない。
小さい大学でいろいろ融通が利いたせいで、こんなことになってしまった。今度行くところは規模が大きいせいもあってルール優先だし(ただし微妙に法治主義とは異なる)、まあそういったことは度外視しても、ふたつをひとつにするのだから、とりあえずキッチリ整理はしておかないと混乱することは確かだ。あとは事業所がひとつになるので、いろいろと法的にもごにょごにょ余分な仕事が出てくる。

とはいえ前方には暗雲が垂れ込めているのだが、いやそうだからこそ、久しぶりに専門書の置いてある本屋に出かける。が、あまりに久しぶりなのでうまく本が探せないのにわれながら驚く。洋書屋さんに足を伸ばしたのだが、洋書はさらに背表紙が読めない。しかも残念ながら見計らいで本の多くが出張っていたせいで在庫の本がイマイチ。けれどどうしても本に金を使いたいという欲求を抑えきれずに、なかば無理やり(でもないが)本を買おうと必死で見つめる。とにかく何でもいいから財布から現金を出して本が買いたかったのだ。だって講義がとりあえず終わったんだよ。買うじゃないか普通。

すると背表紙が厚かったせいか、Michel TroperのTerminer la Revolutionが目にとまる。まあ今買ったところでいつ読めるか怪しいものだが、共和国三年の憲法は行きがかり上、多少関心があるのでそれを買うことに。フランス憲法史というシリーズものなのだが、フランスはやたらと憲法を変えているから、いちいち挙げてゆくとすぐに10冊ぐらいはできてしまう。制定(改憲)に至る事情の解説と、資料集(草案とか議論)がセットになっている。91年の憲法は死ぬ前のFuretが書いている。たぶん今だと大学院あたりの授業で輪読するとちょうどよいのかもしれない。さすがに専門家ともなると、これではまずかろうが、ぼくのようなだらけた素人にとっては割合と便利なものだ。かつては友人たちとそういうことをやったものだが、いまやもう議会の議事録やパンフレットを何年もかけて順々に読んでゆくようなことはちょっと時間的にも空間的にも困難だし。
しかしまあ考えてみればフランス語でといえば、まともに読んだのは(読めていたかどうかは怪しいものだが)せいぜいAlthusserぐらいという、革命史どころか、法学も、フランス語すら素人の若造がいきなり飛び込んで逐条審議にまで付き合ったのだから、まあ無謀というか、物好きなというか、学生ならではというか。考えてみるとフランス語の訓練は議会の演説でやったようなものだ。

そのせいか、このテーマは、結果的にはいまだにものになっていない(フランス語も怪しいな)。

ユーロがやたらと高いので、かける200ぐらいのレートで買うことになってちょっとショック。2001年頃と比べると気分的には倍。帰り道、ぱらぱら資料部分を眺めると懐かしい名前がちらほら。もし読めば昔よりは事情がよくわかるのかしらん。わかったところでもうどうということもないのだけれど。

ただシエースSieyesについてはどこかで一回きちんと考えたい。だがいまのところしかし凡庸なことしかいえそうにない。明晰なひとだけに、却って、こうすればうまくいくかもという見通しが立たないのだろうか(出てすぐに読んだPasquinoの本も、期待が大きすぎたせいかすこし拍子抜けの感じだった。今読むとまた違うかもしれないが)。ある意味でフランス革命の最重要人物なのだが、みんな色々と書いてはいるわりに、なにか腑に落ちたような感じがしない。あるいはまだちょっと手に余るということなのだろうか。

まあしかし今は目の前をことを片付けねば。昨日はまあとりあえず夢か希望を買ったということだ。その代わり壊れたiPod Shuffleの後継はしばし先延ばしに・・・。