ゼミは

ようやく年末に。残りちょうど一回で、Venturiが終わる。いわゆるモダニズム(の正確には追随者)の批判が趣旨なのだが、初めてのジャンルの本だったので、なかなか面白かった。日本語訳には多少言いたいこともあるが、つばを天に吐くことになるのでやめておく。が、モダニストが橋梁や工場をモデルにしていることに触れて、(Giedionのことなんだろう)建築史家は歴史を自分たちの理論に都合がいいようにねじ曲げていると批判しているところで、engineeringという単語があるのに、土木といういちばん普通の日本語に訳してくれていない。建築のひとはすぐにピンと来るのだろうが、門外漢にとっては、土木という日本語とcivil engineerringという単語が頭の中でなかなか結びつかない。土木というとついつい土建屋さんでニッカボッカが頭に浮かんでしまうのは、文系の悪い癖なのだろうけど。しかし国家の側からみるとまったく違った風景が見えているのだということは、英語を知るに及んで、最近ようやく腑に落ちてきた。
Venturiの批判は、それ自体としてはごもっともなのだが、しかし手元にある写真満載のMoholy-Nagyが装丁を手がけたGiedionの仏訳本をぱらぱら見て、Venturiがトリミングしたり角度を工夫して、デコレーションを見えなくしていてずるいと怒っている、橋や工場やクレーンなんかの巨大構造物のカッコイイ写真を見ると、ポストモダン建築よりこっちのほうがいいなあとつい思ってしまう。つくづく感覚というのは保守的なものだなと思う。
仏訳本は日本のアマゾンには出ないかな。奇麗な本。

Sigfried gredion

Sigfried gredion

英訳はあった。
Building in France, Building in Iron, Building in Ferroconcrete (Texts & Documents)

Building in France, Building in Iron, Building in Ferroconcrete (Texts & Documents)

こんな感じの本
年明けは当初、Daniel Bellを読むつもりだったのだが、ちょっとしんどいかな、ということで、Jane JacobsのThe Death and Life of Great American Citiesを読むことに。
The Death and Life of Great American Cities

The Death and Life of Great American Cities

ことしはTocqueville-Venturi-Jacobsときたわけだが、ちょっとまずかったな。気持ちはわかってほしいのだけれど。
Learning From Las Vegas: The Forgotten Symbolism of Architectural Form (The MIT Press)

Learning From Las Vegas: The Forgotten Symbolism of Architectural Form (The MIT Press)

今日は仮定法の説明をしただけだったような気もするが、まあ逆に言えばだから許してほしいという気もする。こういうことができるのも今年が最後だし。

授業が終わった後、延々あじけない文書を書いてやっと書き終えたあとに、さらに日記を長々と書いてしまう。たぶん自分の仕事を忘れないようにしたいということなんだろうな。