まだ

電話で仕事をするということができない。せざるを得ない瞬間もあるが、非常に居心地が悪く、自分からは積極的にしたくない。Unionの仕事をしてしんどいことばかりで給料は増えないわ、ろくなことがないのだが、それでもためになったことはあって、(公務員ではあるが)ホワイト・カラーの仕事の一端に触れることができた、というのはある。
そのなかのひとつとして、電話を使える人と使えない人がいるということに気がついた。どうしても仕事との相手、つまり一種の客として接することが多いから、その角度からの観察になるけれど、相談のなかみがその場で解決できない問題だった場合、らちのあく人に持ちかけた相談だった場合、そのひとは、同僚というか知人にわたりをつけてくれるのだが、そのとき、どうも個々人がそれぞれのネットワークを反映した自前の電話帳を持っているようだ。で、その電話帳の規模や質がどうも仕事ができるとかできないとかの差を表しているようにみえる。
普通に仕事をしてしかるべき所にいるしかるべき年齢の人は、パッと電話をかけてくれて、話をつけてくれる。そしてその電話の相手のところに行け、といったり、その電話の相手から資料を送ってもらったりするのだ。下っ端のひとと上のポジションのひととでは、ここの差がものすごい。たぶん若くて有能な人というのは自前で問題を解決することの有能さなのだろうが、一般に、らちがあく、らちがあかないの差はむしろこういうネットワーク資産によるところが大きいような気がする。
研究者というのは配置転換がもたらすネットワーク資産に欠けるところがあるなあ、と思うのはそういうときで、つまり書物は紹介することはできても、電話をかけて解決するという類のスキルというか資産をぼくはあまり持っていない。
だからどうだと言うことはないのだけれど、ちょっとした逃避。
毎度のことながら採点はつらいなあ。