気になること

学生に議論させると、なぜか司会者になってしまう人がいる。
「わたしは・・・と思うんですよ。それでみんなはどうかなって思って。それでこのことについてみんなの意見を聞いてみたいんですけど、みんなで話し合いませんか。・・・さんはどう思いますか。」

一回ぐらいなら違和感もそれほどないが、何度も続くとなんか変だなあと思う。入門ゼミをやるときは、発表者のほかに司会者もわざわざ作って、司会の練習もさせるのだけれど(これは発言の敷居を下げるのにはよい)、司会者ではないにもかかわらず、そうする人もいる。これはどういう作法なのだろうか。どこかにそういうフォーマットがあるのだろうか。就活用の作法なんだろうか。

それともその個人の作法なのだろうか。俗流心理学的解釈は不可能ではないが(コンスタンティヴにのみしゃべった場合に、反応がないのは不安だ、とか)、あんまし面白くないし、かゆいところに手が届かない。

そうしたことよりも、このモードを放置しておくと、皆が言いっぱなしになって、テレビの討論番組にちょっと似た成り行きになることがすこし気になる。話を振っておきながら、あまり内容に興味がないのだろうか。会話でグルーミングしているのなら、むしろ司会モードはじゃまじゃないのか。

もちろん昔ながらの「おれが、おれが」タイプの人も変わらずにいるのだけれど、そういえば近頃はそのタイプは少数派かもしれない。同じ種類の人間なのかもしれないが。