国民国家という枠組をなんとか維持してきた戦後のフィクションはとうとうその枠組みの意味が意識されることのないまま捨て去られようとしている(しかし果たしてそれは本当に可能なのか)。たしかにそのような事態を想像することは世代的に不可能に近いことではあったわけだが。

あるとすればネグリとは逆の方向への変化だろう。そしてそれがあり得るとすればそのプロセスはすでに進みつつあるはずである。ただしここで問題となるのは当然のことながら軍事力である。private military serviceがビジネスとして成立しつつある現状はしかし、何かの変化を示唆しているのかもしれない。

政権交代して、新首相がとっとと中東へ飛ぶというような穏和な解決は当然のことながらやはり夢物語であったわけだが、であればこそ戦争はもはやどんどんリアリティを増している。北朝鮮のネゴがどの程度タフかという不確定要因にも依存するのだろうか。(それにしてもそれしかないとはいえ、なんともタフだ)