そうなんだよな
社会構築主義を素朴新カント派ふうに理解すること自体がまずいってことでもあるんだよな。やっぱちょっと弊害は大きかったな。ラビノーの「異文化の理解」とか、ちょっと弱々しいところもあるけど、やっぱまだ健全な感じがするもんな。現場だ現場。
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それと知識。
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構造の(あるいは形式の、はたまたシステムの)組み替え。見えないものではあるけれど。さりとてそれが恣意的な、ものというにはあまりにも、思うようにはならぬもの。
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おなさき我が子の手のひらに、こびりついたる土くれは、ざらりと痛きものなれば、われにかざしてみせんかや。人智の及ばぬものとても、彼岸のものとはあるまいて。港の町の大揺れを涙なしには語れまい。ひとつふたつと積む石よ。紙魚に食われるばかりとて、しかし積まねばなるまいて。積まずに齢は重なるまい。重ねたいのであるのならきちんと尻はふきやがれ。
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オトナになるということは、頭を下げるということで、我が身のためにはあらねども。下げずに齢は重なるまいて。えらびてコドモにとどまれば、たどり着けぬは極楽浄土。つらき憂き世のうきしずみ。さりとて逃れるすべもなし。
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さても不幸な老人に、右往左往は避けられぬ。