やっぱり

選挙区はコメー党だった。フランス語で票のことを声(voix)という。フランス革命憲法構想期のあれこれの草案を読んだり訳したりしたとき、そうか選挙というのは声を聞くことなのかと思った。選挙制度が始まる前にももちろんこの声(voix)という単語は「人民の声」というような表現で使われていた。もう少しきつくなると、叫んでむりやり耳を傾けさせるということになる。そのなかで、不満murmure(s)というのもあった。これは英語だとwhisperにあたる単語で、なんとなく声にならない声がざわめいている感じがしてなかなかよい表現だなあと思った記憶がある。そういう声にならない声が、(普通)選挙というかたちで制度化されていったわけなのだが、その過程で世論は声から数になったということもできる。しかしいずれにせよ、俺の声はなかなか届かないなあ。

昨日書いた岡田の引いたババ籤の例。
たとえばhttp://d.hatena.ne.jp/kwkt/20050909にあるような高野某なるひとの最後の発言なんかが典型。まあ冷静に眺めると印象操作以外のなにものでもないわけだが、おそらく本人としては自分で考えた意見であると信じているだろう。だからといって直接に誰かが裏で糸を引いているわけでもあるまい。(好きこのんで操作されたいやつはいないだろう。誰だってプライドはある。あるからやっかいなのだが。)おそらくは起きていてしかし夢を見ているのだ。まあ昨今、権力というのはこういう顔をしているのではないか(権力、だろうか?もっと別の何か?multitudeか。)。人の口に蓋はできないので、とりあえず個々人が夢から覚めておくしかない。うっかりするとすぐに惚けてうとうとしてしまう。ツッコミは大事だ。
起きていて見る夢とかいうとマトリクスみたいだが、まああれはメディア世界のメタファーなんだろう。それが証拠に高野某というひとの発言にはなんか時間の経過が感じられない。10年前の彼もおそらく同じことを言っただろう。夢の世界を生きているんだろう。きっと。いろんな出来事はあってもしかしバブルの頃から時は凍り付いているのかもしれない。ふと気がつくと顔ぶれも変わってないものな。ってことはバブルの夢なのだろうか。それでメディアのひとはみんなあの郵貯に燃えてしまったのだろうか。

しかし世の中のことはやっぱり気になる。このままだと、右往左往するわ不幸だわ、ろくなことのない爺さんになるなあ。