嘘について

国家からの介入にたいしみずからを守るという営為はどこか私的な抵抗のかたちを取らざるをえない部分がある。もちろん行政的権力にたいし、立法ないし司法の力を対峙させ、それを制限するというあり方は当然重要であることは言うまでもない、のだが、基本的にこれは社会的に承認され自動化されるまではコストがかかるという大きな問題があって、日常の些事にたいしていちいちこれで対応することは専従がいないと難しい。となれば多くのひとはやり過ごすというかたちで消極的に抵抗を行うことになる。
ただこれは社会的(市民社会的)に容認された(ことになった)ルールへの不服従である場合が多いから、どうしても小さいながら犯罪的であったり不道徳的であったりするということになる。
もっとも人間には引けない問題があるものだから、そういうときは問題を公共化して戦うことになるのだが、そのさいには社会のルールをどのように定義ないしは再定義するかという争いなので、広い意味で法的な争いになる場合が多かろう。