今日は

mayakovがちび太といっしょに実家に帰っているので、昼から神戸。行き帰りに(そんな暇はないのだが)ついついSenellartの書いた、Securite,territoire, populationのSenellartの解説を読んでしまう。あいかわらず行き届いて明快な説明。国家理性論についての部分やE.Thauの本を種本にしているとのこと。やっぱり。考えてみれば、何日か前に紹介したFoucault Effect(id:yeuxqui:20041027)のなかに翻訳されているGouvernementaliteの講義はまさにこの年(と次の年Naissance de la bio-politique)で主題的に扱われていたのだと思うとちと感慨深い。

Foucault Effectのなかのgouvernementaliteの講義録をノートをとりつつ読んで、SenellartのLa pensee politiqueの論文を読んで以来、彼らに導かれるように、ぼちぼち断続的にBoulainvilliersやらDelamare,Botero,Naudeといったひとたちのテクストを読んできたわけだが、ではじっさいに講義の中でFoucaultが何を言っているのか、読んでみたいような読みたくないような。

というのもすでにSenellartの解説の中にFoucaultが講義でシカゴ学派のHuman Capital論について検討していることを知ってちょっとガックリな気分。来月の発表でまさにそれをやろうと思っていたのだが、こういう文脈とはまったく別の問題として、人的資本論の検討をしているつもりだったのに、なんやまたおっさんの掌の上やったんかい!という感じ。悔しいなあ。悔しいけど、やっぱりまだほんとうに考えていないということなんだろう。一歩前に進むということはむちゃくちゃ難しいなあ。

シカゴ学派についてなんか言ってることは知ってたんだけどな。しかし冷静に考えれば、人的資本の問題に注目するよな。というかそこに注目するってことが、すでにFoucaultの問題設定だもんな。
ああまだ誰も考えたことのない問題を考えたいなあ。ちぇ。

でもまああんなかでFoucaultが考えていたのは国家の問題だというのは、まったくそのとおりという感じで心強い(だからまだ「家族に介入する国家」のほうがましなんだってば)。心強いがそれもわからんようではロボコン0点なんだけど。
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fenestrae(id:fenestrae:20041031)より、香田さん殺害を知る。むー。その可能性は非常に高かったわけだが。しかし。官邸もさすがに今回は軽率な行動は慎んでいるように見える。多少は思慮深くなったのであればよいが。
それにしても若い。
大学に入ると決まったとき、「過激派だけにはなるなよー」としつこいぐらい言われたことを思い出す。
いずれ彼らも落とし前をつけざるをえないのではないだろうか。
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ついでにさかのぼって記事を見ると、忙しくしているあいだにいろいろあったことを知る。
(id:fenestrae:20041019, id:fenestrae:20041029)

しかし明日は仕事。授業二つ、終わってから交渉と、あさっての説明会の準備。
とりあえず授業の準備はせねば。