情けは

旧聞に属すが、イタリア人二名の人質が解放されたんだな。インターネット放送を見ていたら、おそらくは政府側の代弁者が、右派の支持者に向かってだと思うが、「強硬な手段をとる可能性もあったが、人名を尊重してより安全な手段を選択したのだ」という発言をしていた(フランス語の放送なので誤解しているかもしれない)。いっぽうで(お そらくは意図的に)身代金えらい高かったよーとリークしながら、公の発言ではこういう物言い。まだしもまともだと思う(いやベルルスコーニだからってイタリアを軽く見てるわけではない。こういうのはまあ「文化」だろうからね。)。

まともというか、そりゃ偽善だと言う向きもあるだろうが、政治は偽善でいいようにおもう。そういうゲームではないか(そこは尊重しておかないと、でないといざというときブレーキが効かなくなるのではないか)。

憲法にせよ人権にせよ、そのような理念が現実に先行しそれを支配したことなどはなく、理念などはつねに現実を押しとどめるために持ってくる「それ自体としては」非力な防波堤だ。少なくとも短期的には政治的な争いに決着を付けるのは「力」だろう。おれのすくない経験はそう言っている。

まあしかし法治国家と言ってみたりしている以上、うまくその建前をつかうのも「力」のうちで、そのためには一般的には、フィクションは尊重しておいた方がいいとは思うんだ(「力」のないほうはとくに)。多分に心理戦にすぎないというようなところはあるけれど。
保守的だからなおれ。なんかそういうフィクションがあるからには、それなりの意味があるんだろうと思ってしまう。

この国は、やたら威勢がいいんだけどな。昔から。