なぜ

こんなことを書いているか、それは秘密なのだが、よく学校秀才にたいする批判として、誰かの言った話を上手にまとめるだけで評価されて、独創性という角を矯める結果になって云々、というものがあるが、ええと、人の話を聞いて理解できる能力って、わりといろんなことのベースになると思うんだな。いや。むろんそれだけで社会を渡ってゆけるとは思わない。ただ独創性とか、コミュニケーション・スキル(笑)とか、あんまし教えても意味ないものに比べると、たぶん社会的有用性は高いような気がするなあ。いやそれだって、身についてない人に教えるのって、ほとんど絶望しかかるほど難しい感じがするんだけどね。つきつめると理解力entendement/understandingそのものをどうやって育成するかになっちゃうからねえ。
そういう手のかかることはしなくていいとなれば、これは大変に楽になるかもしれないから、まあありがたいっちゃあ、ありがたい感じもしなくはない。