なかなかものごとは

そう理想通りにはゆかず、起きているあいだは元気だったのだが、寝入るとやはり痰がからむようで、昨日も夜半を過ぎる頃から咳を繰り返す。細菌(だろう)のついた痰が気管支のほうに降りてゆくと気管支炎ということになって、またまた厄介なことになるのだが・・・。咳をしてはmayakovの耳たぶを触りに行く。不安な気持ちがすこし落ち着くのだろう。
SOPがそうするので、町で見かけても気がつくようになったのだが、この(とりわけ母親の)耳たぶを触るという行為は、SOPにかぎらず少なくない子供がやっている。自転車をえっほえっほと漕ぐお母さんの耳たぶを、自転車の前に設置された補助椅子から手を伸ばして触っている小さな子供などがいたりして、そういった光景を見ると、なにか仲間に会ったような気分がする。おかあちゃんは姿勢に無理があるので大変そうだったが。ただ僕の耳たぶは、今ひとつ手触りがよくないみたいで、一応触りにはくるものの、ちょっとがっかりしたような顔をすることもあり、こちらもなにか残念な気分になる。
しかし病気の時は、親というのは自分の子供といえど、基本的には何もしてやることができないのだということを思い知る。入院の時につくづくそのことは分かっていたはずなのだが、しばらく間があいたから、なにか多くのことをやってあげられるような気になっていた。だが、別の生き物ではあるのだ。

ただし食欲は旺盛。こればかりは親に似ないでよかった。たくさん食べて体力をつけよう。