SOP

退院。ふう。今回はすこし短かった。今日もかかりつけの医者の順番を取ってから学校へ。二番をゲット。メールをのぞくがさして大量でもない。メールを見ると「内閣府男女共同参画条例への意見募集」について。へえへえ。
「「ジェンダーという言葉を使うな」「ジェンダー学はやめろ」「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)は悪である」というような意見が多い」、か。ふんふん。あいつら暇だし一生懸命だな。実存がかかってるんだろうなあ。ふと『シガテラ』を思い出す(変な終わり方したが)。ほんで「大学での女性学、ジェンダー関係の授業をやめろ、という意見も多く出ている」とのこと。ははあ。そうか、そうか。

「明日が締め切りということで」って、おい。今日のメールかよ。あんたらも呑気だな。(っていうか正直にいうと、運動へのプライオリティ低くない?)

そういや行政との連携の上での男女共同参画なんてギマン的だしそもそも無駄だって、人生の半分ぐらいそれに費やしてきた人に面と向かって放言したひともいたなあ。それみたことか、とかいうんかな。

まあね、時計の針は戻っても数十年だからね。100年単位で考えれば、そりゃ男女平等への方向は動かしがたいとすれば、反対派も人生を無駄に費やしているといえばそうだし、少々呑気に構えててもまあいいっちゃいいんだが。勝ち組なんだし。

ときどき地震が起こって善人も大量に死んだりするけど、長期的にはそりゃ歴史は合理的に動くわけですから(ライプニッツ主義ですが。まあ摂理の世俗化が経済学ってえ話で。可能世界とかね、そういう大仰な話も悪くはないですが。)、メリトクラシーがもれなくついてくることはたしかで、だったらなんとなーく微妙なところにいる男たち(というかオチこぼれそうだと思うと不安で堪らないオトコたち、なんだろうかね。実際にオチこぼれているオチこぼれていないは全く別として)はそりゃ非合理にだだこねるわな。合理的な神が自分に優しくないんだからさ。そうか、だから大学が不愉快なんかな。政治家はそりゃメディアでは優しいしな。

感情のはけ口がフェミニズムとかに向いてるけど、それに飽きたらどこに行くんだろうなあ。っていうか、前はどこに向いてたんだろうか。どこにも向いてなかったらとすればそこそこ満足してたんだろうなあ。バブルの時とかは適当に遊んだりして楽しかったけど、バブルはじけて何かが終わって(終わりつつあって)ふっと周り見渡してみると、あれっ?ていうかんじなんだろうか。俺らの同世代だと。ほんらい落ち着いたりする、このタイミングでなにか落ち着けそこねた、というか私生活というようなものをもう構築できないんだろうか。それとももうちょっと上と下の世代なんかな。

落ち着く。安心ではなくて、まあしゃあないか、というふうになること。精神があせっても、体がついてこないこと。(いつまでも体鍛えるのもなあ。)堕落といえなくもないか。堕落できないんだな。つまり。同じ種類の人間ばかり見てきてるから、極端な例しか浮かばないんだろうか。

オトナ社会で生きてないから、身近に取り組むべき問題もないし、かといってEUの未来を語ろうにもそれはあまりにも遠すぎるし、アジアの未来ってことになると、すぐに吹き上がっちゃうし。常任理事国入りとかって、入れば嬉しいよな、ぐらいの感想しかもらせないし。経済を語るに、いまさら教科書を読み直そうっていっても、そんな気力もないだろうしなあ(おれだってもう限界だよ)。どこかで私生活に密着したなにか、しかし、適度に大きくて公的な話題が必要なんだな。メディアが提供してくれる話題が。ある種の人間には。オトナ社会や学校や会社や、そういうところから阻害されつつあったとして、私生活があればいいじゃないか、という風にはなれないのはなぜだろう。

いやそういう尻尾はナカナカ切れないのは確かなんだよな(ブログ書いちゃったりとかさ)。

とはいえ、じょじょにじょじょに傍観者的にはなりつつあるが(半径5メートル以内のことで、もういっぱいいっぱいです)。はやく、もっとトシとりてえ。