さて授業の準備を

しなければならないのだが、こういう日に限って本が届く。

Lucette ValensiのFables de la memoire -- La glorieuse bataille des trois rois, Seuil.彼女はどうも地中海沿岸のイスラム圏、つまり北アフリカ(とくにユダヤ系住民)の歴史の専門家らしい。Annalesの編集委員もしてるから、有名人なのだろうが、全然知らなかった。パリにいるときに、ボブールの近くにあるCahier de Coletteという本屋で、彼女の前著"Venise et la Sublime Porte --La naissance du despote"を、題名に引かれて買ったら、すごく面白かったのだ。この本屋、大好きなんだよね。マダムがなかなかいかす。http://www.lunetoil.net/crepusculePage.php?setj=20062000に店内写真がある。ちなみにla Sublime Porte(栄華の都とでも訳すのかな)というのはコンスタンチノープルのこと。(しかしもう2年も前に読んだのだけれど、面白かったという以外の記憶がほとんど残っていない!)
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新しく「はまぞう」という検索サービスがついたのに気がついた。Valensiで探すと五つもヒット。結構英訳はされてるんだ。上で紹介したこの本も訳されている。やっぱ有名人だよな。
The Birth of the Despot: Venice and the Sublime Porte
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フランス(というか西ヨーロッパでというべきか)ではやりの政治哲学(風のもの)は、面白いことは面白いのだけれど、若干お勉強競争じみたところも含めて(ラテン語への回帰、つまり中世の再発見というのもまた徴候的で)、ちょっと反動的かなと思うことがある。欧州統合もあってのことだろうけど、ヨーロッパというものを実体としてねつ造(というと言いすぎかな)しているような気がどうしてもしてしまう。EUの会議ではラテン語で会話するのが流行っているなんて聞くと(ほんとかな)、ちょっとね。なんというか歴史に目を向けるというのは後ろ向きな議論になりやすいところがあるのは当然としても、それにしても、なんかトルコの統合欧州への加盟に微妙に煮え切らない感じがあるのをみると、国民国家を開く、という方向とヨーロッパとして閉じる(ラテン語と信仰によって結びついた知と権力(おっと)のヨーロッパの無意識的な(?)再活性化)という異なるふたつのベクトルが拮抗しているのだと思う。

Valensiの『ヴェニス、そして栄華の都コンスタンチノープル』という本は、その意味で、どこかで閉じたヨーロッパという方向にぶれがちな流れへのなかなか面白い批判になっていた。「ヨーロッパ的知性/科学」というものの根源にイスラム科学や文明の痕跡(ギリシア語のアラビア語経由の翻訳など)を指摘することで、キリスト教的ヨーロッパの自給自足文化という先入観を批判するというのは近ごろはもう当然のことなのだろう。(たとえば伊東俊太郎の『近代科学の源流 (自然選書)』や『十二世紀ルネサンス―西欧世界へのアラビア文明の影響 (岩波セミナーブックス)』(え?どっちも絶版?)や高山博の『中世シチリア王国 (講談社現代新書)』なんかは読みやすい。)けどValensiこの本はもっと時代が下った16〜18世紀においても、ヨーロッパ知識人たち(いわゆる昨今の政治哲学のスターたちの、その多くはここに含まれる)の思考のなかにどれほど当時のオスマン・トルコというものが、直接に影響を与えているかということをちゃんと指摘していて、この大国の存在がどれほど彼らのテクストの(起源ではなく)その現在の背景であったかがよくわかる。

レイマン大帝のトルコが当時のヨーロッパの政治(とりわけヴェニスの)にとって途方もなく大きな存在だったことは、いうまでもないのだけれど、それだけでなく、とくにヴェニスの外交官たちの文書をひもときながら描き出される彼らの姿は、とても興味深い。コンスタンチノープルに派遣される、ヴェニスのなかのもっとも優れた名門出身の行政官(つまり当時の知識人)たちが、この都会に魅了されてしまう様子(「ヨーロッパのすべての王国の富を合わせたよりも、まだ遥かにおおきなその富」、そして中には改宗しスルタンに仕えるものさえ)は、まるでパリやニューヨークに魅了されてしまう僕らの時代の知識人を思い起こさせて、ちょっとした視点の転倒を与えてくれる。どうやらブローデルと近い関係だったらしいのだけれど、地中海という視点から見るヨーロッパは、やはりいわゆる政治哲学にとっても重要なことなのだということが、ここから伝わってくる。

ちなみに、このなかでわりと大きく扱われているコンタリーニの書いたものは、たしか(これもまたたいした秀才なんだよな)Michel Senellartが編集しているはずだ。いい版になるんじゃないかな。

小さな本だし、これから輸入される(た?)政治哲学的なものへの、ちょっとした留保の視点を与えてくれる本だから、訳してみるのはいいんじゃないかなと思うけれど、そういう背景がこの国にはないわけだから、面白さはあまり伝わらないかもしれない。(ポコックもスキナーも全然だしなー。宇野ちんやってよー。)

ちなみにポコックは『徳・商業・歴史』(ニホンゴ、わ・か・り・ま・せーん)。スキナーは訳はともかく、『マキャヴェリ』(いやいい本ですが。)『思想史とはなにか―意味とコンテクスト (岩波モダンクラシックス)』(この本ですか)、『自由主義に先立つ自由』(Foundationにも先立ちました)とか、順番がおかしい。この状況で訳すのはまさに砂上の楼閣かもしれない。

でもまあ中国という大国に隣り合わせのこの国にとっては、そういう文脈とはまた別の面白さもあるかもしれないな。ちなみに今日届いた本は16世紀に起こったモロッコポルトガルとの戦争(この世紀のもっとも血なまぐさい戦争のひとつらしい)を題材にキリスト教国とイスラム教国との関係の変容というものを描き出しているらしい。おもしろそうでしょ。

それにしてもトルコのEU加盟という問題はだから世界史的に重要なのだ。